「太地水産共同組合の百年」の巻頭言より

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先日のミンククジラの混獲の件で反捕鯨・アニマルライツ界隈から非難を受けた「太地水産共同組合」だが、同組合の記念誌の巻頭の言葉には、現在の状況を予感させるような庄司元町長の言葉が記されていた。今回はその言葉から、現在の状況について考えたい。

この記念誌について

今回取り上げる「太地水産共同組合の百年」という記念誌について知ったのは、件のミンククジラの混獲の件で、特定の方面から激しい非難を浴びていた「太地水産共同組合」について調べていた時に朝日新聞のウェブサイトのニュース(当該記事魚拓)を読んだからだ。

太地水産共同組合については、太地町史にも第9章第七節に記載があるが、町史自体が昭和54年に発行されたもので、今日までの変遷や現在の様子がわからないため、恥ずかしい話だが僕自身完全に見落としていた組織だった。
町史と現状の様子の違いについては、例えばイルカ追い込み漁の例がわかりやすいだろう。
太地町史の年表をチェリーピッキングしたスラックティビストが「追い込み漁の最古の記録は1933年」などとデマを撒き散らす事が多いが、実際は更に古い時期に撮影された写真や、さらに古い時代の様子の聞き取りなどが存在する。
探せば様々な資料が存在するのだが、町史という限られたリソースの中では、語られる事実も限られるのだ。

2015年10月、例大祭の際に撮影した太地水産共同組合事務所

今まで僕は太地の捕鯨文化への興味が中心であったこともあり、僕の中で同組合については、上の写真の事務所が国指定登録有形文化財であることくらいしか存じ上げなかった。
こうした周辺の事情へのリサーチがかけていたことは素直に恥ずかしいと思う。

そしてこの記念誌を是非読んでみたいと思い、事務所の方に電話をしてみたがつながらず途方に暮れていたところ、Facebookである方より情報を頂いて、先日無事にこの記念誌を手にすることができた。
とてもしっかりとした装丁に読みやすい誌面で、じっくりと時間をかけて編纂されたことが伺える作りとなっている。

太地水産共同組合の百年

巻頭言に書かれていたこと

さて、今回の投稿のタイトルになっている同記念誌の巻頭言について触れたいと思う。
巻頭言は現町長の三軒一高氏によって書かれており、冒頭はこのようになっている。

 昭和四十四年(一九六九)に出版された『熊野太地浦捕鯨史』で当時の町長庄司五郎氏が「歴史を軽んずる民族は亡び、祖先を尊ぶ氏は栄える。民族的な仕事をなさんとするもの、あるいは市町村行政にたずさわるものは、まずこのことを十分考慮すべきであると私は強く信じている。」と述べています。
 町長はこのような考えのもと、時流に合わせた施策を次々と実行していきました。その最たるものが、昭和四十四年(一九六九)に開館したくじらの博物館の建設であります。博物館の創設は、これまで「獲る」・「食べる」に限られていたクジラとの関わりに、「見せる」という新たな領域を切り開きました。
 私は、庄司町長の思想と政治家としての強い思いに賛同する一人であります。その上でいまひとつ付け加えたいと考えます。すなわち、「当町はこの百年間、水産共同組合と共に歩んできた町で、同業の盛衰がそのまま町の歴史となってきたのである」─と。

「太地水産共同組合の百年」巻頭言より引用。下線部は管理人による。

今回注目したいのは下線を引いた部分である。
以前に投稿したLIAの記事への反論が、まさにこうした歴史や伝統というワードの重要性を孕んだもので、彼らやそのフォロワーが都合よく持ち出す様々なデマは、一つの地域の尊厳にも関わるものだと思う。
歴史や伝統は、身勝手に取捨選択できるものではなく、その地に生きた人たちが受け継いできたものであり、これからも護り継ぐものである。

何故なら、それはその地に生きる人達のアイデンティティーであり、その共同体に帰属する価値観の根幹に関わるからだ。

水産共同組合は「協同」ではなく「共同」と記されている。
その昔、太地は捕鯨の共同体として栄えたが、大背美流れの混乱の中で激しい対立の時代を経て、水産事業の共同体としての方向性を見出した。
それは過去に捕鯨でまとめられた浦だからこそ成り立ったことで、その経緯なくしては今の太地は存在しなかったとしても過言ではないだろう。
水産共同組合の利益の多くは公共の充実に用いられたが、それは過去の鯨方が浦の福祉に重きをおいていた名残かもしれない。
考えすぎかもしれないが、それ故に「互恵」の精神が太地には根付いたのかもと考えずにはいられない。

先日のミンククジラの混獲の件で湧き上がった非難の多くは、こういった背景を知ることなく、定置網の管理者として当組合を悪しざまに罵っているだけだ。
何度も書くが、混獲という普遍的な出来事で太地だけを罵倒する輩には、こうした背景について知る由もないだろう。

であるなら、スナック感覚で「伝統とはなんぞや」と語るのもお門違いだ。
何故なら、その地に根ざしていない活動家ごときには理解できないからだ。