食の問題と捕鯨

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このブログでは、捕鯨問題の一側面として、アニマルライツを経由して、食に関する話題を何度か取り上げてきたが、今回はその中でもかなり大きな意味を持つであろう、ドキュメンタリー映画の話をしたい。
今回のアイキャッチは、こちらの動画のスクリーンショットです。

農業や畜産の工業化が招く問題

今回紹介したいのは、「フード・インク」というドキュメンタリー映画だ。
内容としては、以前に紹介した「ありあまるごちそう」というドキュメンタリー映画と、「スーパーサイズ・ミー」のモーガン・スパーロックが監督した続編の「スーパーサイズ・ミー:ホーリーチキン!」を足したような内容だが、その中で印象深いのは工業化された農業や畜産業の危険性だ。
「ありあまるごちそう」でもそうだったが、作中に凄惨なシーンやショッキングな内容もあるので、視聴の際はご注意いただきたい。

まずは、YouTubeで公開されている予告を御覧いただきたい。

コスト削減をし効率化を続けるあまり、労働者に対する搾取の常態化と消費者を危険に陥れる汚染が蔓延している中で、誰もが選択を迫られる。
正しい道は明らかなのだが、その道はとても狭く険しい。
何故なら消費者は危険に晒されながら、低価格な食という恩恵も受けているからだ。
ただ、その現状を変え、正しき道を選択するために、消費者の一部は動き出そうとしている…。

予告編は「当たり前のことが素晴らしい」というナレーションで終わるが、その「当たり前」がそうではない世の中に僕らは生きており、その当たり前を取り戻すためにどうすべきかが、本作のエンドロールとともに語られる。
「システムを変えるチャンスは、1日に3回ある」という言葉の意味を、考えなければいけないと思わされることだろう。

「ありあまるごちそう」の中ではネスレが、「フード・インク」では、モンサントが大いなる敵のように扱われているが、更に大きな敵がいるとするなら、それは食を支えている(と僕らが思い込んでいる)システムで、この先の世界がどう変わるかも、消費者一人ひとりにかかっているのかもしれない…。

畜産は悪か?

話は少し変わる。
ふと気になって、グリーンピース・ジャパンのWebサイトを眺めていて、「あなたの食卓からはじめよう」という見出しとともに、こんな文章を見つけた。
以下引用する。

1日に1食、週に1食……お肉と乳製品の消費を減らし、野菜や豆中心の食事をとりいれる。
野菜中心の食生活は、地球環境と私たちの健康のどちらにとっても良いこと。
例えば、大豆などの豆類を育てるのに必要な水は、牛肉の6分の1以下です。
いまキャンペーンに参加した方に、レシピ集をプレゼント!
この夏、大切な人とヘルシーな料理を囲み、心も体も健康になる暮らしをはじめませんか?

https://act.greenpeace.org/page/43645/petition/1

……あまりにも短絡的じゃないだろうか?
本来の問題は食性の問題ではなく、食のあり方の問題のはずだ。
なのに、安易にヴィーガニズムやベジタリアニズムを押し付けるような物言いは、きちんとモラルに沿って、人や自然に優しい畜産業を営んでいる人たちに対して、とても失礼な物言いに思える。
仮に現状のままで菜食に転向したとして、本当に安全な食のシステムを構築できるわけではない。

もう少し、先程のページから引用したい。
次は「なぜお肉を減らすのがいいの?」という見出しから始まるこの一文だ。

大量生産システムの畜産は、地球と私たちの健康をおびやかしています。
世界では9人に1人が飢餓に苦しんでいるにも関わらず、お肉や乳製品を作るために大量の穀物が動物の餌になっています。
もし、穀物を動物の飼育に使うのをやめれば、世界の食糧供給量は70%アップします。

https://act.greenpeace.org/page/43645/petition/1

一時期、僕もかすかにそう思ったことはあったが、物事はそこまで単純ではなかった。
単に肉食をやめただけでは、飢餓は無くならないだろう。
何故なら、現在燃料や畜産用の飼料の生産に利用されている土地は、現在のシステムを生み出した企業が保有しているものであり、そこから生産されるものは、富めるものの手に流れていくからだ。
畜産に用いられる飼料が仮に不要になっても、それは単純にバイオ燃料など別のニーズによって使われるのは、予想がつきそうなものだ。
つまり、肉食が廃止されたとしても、システムが変わらない限り、飢餓は生まれ、健康は脅かされ続ける。

菜食に転向するにしても、消費者は様々な選択を強いられる。
そうでなければ、食の安心や安全は永遠に手に入らない。
故に、大きな環境保護団体のWebサイトに、こんな文章が載っていることに驚いているし、呆れてもいる。

やはり、彼らは戦える相手としか戦わない、残念な人達なのかもしれない。
元々期待はしていなかったが、期待するだけ無駄なようだ…。

だからこそ鯨食には正当性がある

閑話休題。
これらのドキュメンタリーを見て思ったのは、「少なくとも、こうした大規模工業型畜産よりも、鯨食には正当性がある」ということだ。

環境保護活動家や動物愛護活動家は、有機水銀を持ち出して批判するのだろうが、資源管理をきちんと行えば、鯨類資源は、少なくとも工業型畜産よりも自然に優しく持続的に利用することができる。
そして、有機水銀の問題についても、小型鯨類を常食している太地町でさえ、大きな影響は出ていない(リンク先PDF)。
ついでにいうが、僕自身も小型鯨類の肉を何度も食べたが、水銀中毒になったことは当然無い。

環境保護団体がよく持ち出す「食料廃棄率」や「フードマイレージ」なども、安価に供給される畜肉よりも、現状の日本近海での商業捕鯨なら、おそらくかなり少ないだろう。
ここには大きな正当性がある。

残念ながら、供給量は大幅に少ない上に、コストは確実に高くなるが、食の安全性を考えるなら、工業型畜産よりも、遥かに安全だ。
特に、様々なアレルギーを持たれる人々にとっては、鯨食は福音になるだろう。
こうした部分を旨くPRして、ニーズの掘り起こしができれば、鯨食の需要は更に多くなるのではないだろうかと、僕は思う。

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