蔑ろにされた取材

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先日、「イルカ漁は残酷か」の内容の正確さついて個人的に質問をさせていただくつもりで、いとう漁協の富戸支所を訪問して、実際に対応をされた日吉さんにお話を伺った。
すると、予想の斜め上をいくような話を聞くことになってしまった。

意外な展開と意外な人物像

僕が最も聞きたかったのは、文中にあったある発言についてだった。
「イルカ漁は残酷か」の中で3回ほど登場するこの発言は、追い込み漁を行う当事者のメンタリティーを色濃く反映するものと読者に受け取られ、批判者からの攻撃の的になるのではないかという危惧があったのと、以前に電話で少し日吉さんとお話をする機会があり、「あの人がこんな無配慮なことをいうだろうか?」という疑問が真っ先に湧いたからだ。

ブリを殺すのも同じじゃん。何も悪いなんて思ってないよ。だって食べるものだから」

イルカ漁は残酷か p.14、p.35、p.258

この発言が全文が2回、太字部分が1回、日吉さんの名前とともに文中に記載されているのだが、このことについて日吉さん本人に伺ったところ「こんなこと言った覚えはないし、この本の中に取材に応じた際に話したことはほぼ書かれていないし、書かれていてもニュアンスが変わってしまっている」のだそうだ。
それだけでも意外なのだが、さらにその後に続く一言は、さらに驚くべき内容だった。
「石井泉から聞いた話を一方的にまとめているだけなんじゃないのかな?」
確かに、p.29には石井泉氏提供の写真があり、p.276のノートに書かれているが、石井泉氏が撮影した当時の動画の提供も受けていることが書かれている。

石井泉という人物については、このブログでも何度か取り上げたが、リチャード・バリ・オフェルドマンことリック・オバリーとともに反追い込み漁のキャンペーンで太地にも何度か訪れている人物で、石井氏は反追い込み漁のキャンペーンに影響を与える投稿を以前に行っており、追い込み漁を行うための漁具を盗撮したり、追い込み漁批判の記事を投稿しており(これらの記事は、現在公開範囲を限定しているようだ)、最近ではこんな投稿をしている
そういった人物から聞いた話なら、実際に追い込み漁を実施する漁協の話とも食い違ってくるだろう。
前々回の記事で紹介した日刊ゲンダイDIGITALの記事の引用のような発言をする人物が、どちらの話に重きをおくのかは、想像に難くない。

太地町での取材でもそうであったが、ここでも伴野氏は「中立的な視点」を強調して取材の交渉をしていたようだが、実際はこのような内容である。
また、伴野氏は、後日、ある人物の年齢を知るために、漁協に質問の電話をした際に、こちらではわからないと答えると、かなり激しい口調で「わからないのはおかしいだろう!」と言ったそうだ。
太地の関係者に伺った話でもそうだったが、この著者の二面性は「手のひらを返したような」と評されるほどで、当初の好印象を知っている人物にとっては「裏切られた」と感じるだろう。
いとう漁協の日吉さんもまた、同じように感じているに違いない。

徐々に明らかになるもの

富戸の追い込み漁を扱った第一章でも、伴野氏は、事実誤認をしている部分がある。

明治時代に本格的に始まった伊豆地方のイルカ追い込み漁は、戦後しばらくの間隆盛を極めたが、俺も長くは続かなかった。今ではイルカ漁に旗を掲げているのはいとう漁協富戸支所だけで、その富戸でさえ二〇〇四年を最後にイルカ漁を一度も行っていない。イルカ漁は過去のものになりつつあるが、しかしそれでも伊豆はイルカ追い込み漁のメッカであり、かつてはどの地よりもイルカを多く捕っていたのだった。

イルカ漁は残酷か p.37

ここでは「行っていない」と断言されているが、実際は「行いたいが行えない」のが実情である。
主な理由は国と県からの指導、そしてジオパーク関連団体からの圧力のようなものである。国や県からの指導については、本書の中にも書かれていることなのだが、どうやら伴野氏は、このことを忘れているようだ。

「ここは首都圏が近いですからね。近くには年間三〇〇万人も観光客が来る城ヶ崎海岸もあるし、ダイビングや遊覧船もやっている。そんな関係で国や県から血を見せるなと指導されているんです。何十頭も屠殺して血を見せないというのは不可能なんですよ。それで今は水族館用のイルカしか捕っていないんです。

イルカ漁は残酷か p.33

観光地としても有名な城ヶ崎海岸のでもあるため、国や県からの指導で追い込み漁ができないというのは、富戸漁港周辺の地形に起因するもので、太地の追い込み漁でいうところの影浦のような場所がないため、目につく場所に追い込み、そこで捕殺(そして放血)までを行わざるを得ないという、難しい問題がある。
さらに、そこに伊豆半島ジオパークにまつわる圧力めいたものまでついてくるのだ。

「地質遺産の国際的価値への評価」や「イルカ追い込み漁問題」を理由に世界ネットワークへの加盟が保留となった伊豆半島ジオパーク。2015年11月にジオパークがユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の正規事業となったことを受けて、伊豆半島ジオパーク推進協議会(菊地豊会長)は改めて世界ジオパークへの加盟を申請、7月に現地調査が行われ、今秋、審査が行われる。ユネスコがどのような判断をくだすのか、注目される。

– 中略 –

 伊豆半島ジオパーク推進協議会では、伊豆半島でイルカ漁が2004年まで行われていたことは事実としつつ、「過去に行っていたイルカ漁がジオパークの審査基準に触れる問題とは考えていない」として、2015年12月には、同年11月からジオパークを正規事業としたユネスコに対し、イルカ漁がジオパークの課題と判断された理由を求める書簡を送付したが、回答は寄せられなかったという。

 今回の世界ネットワーク加盟申請について伊豆半島ジオパーク推進協議会は、世界ジオパークネットワークがユネスコの活動になったことに伴うもので、ユネスコに対して新規申請をしたものとしている。ただし、前回審査で指摘された「地質遺産の国際的な価値」に関しては、伊豆半島をフィールドにしている国内外の研究者等の見解をさらに充実させて申請書に盛り込んだという。

 一方、イルカ漁に関しては、「過去に行われていたものであり、世界ジオパークネットワークの審査基準の対象となるものではない」との判断から、今回の申請においても前回と同じく申請書への記載は行っていないとしている。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170601-00000003-wordleaf-soci

ジオパーク関係者は、水産庁が現在も静岡県に与えているカマイルカやバンドウイルカ、オキゴンドウの捕獲枠に関してどう考えているのだろうか?
追い込み漁を行う当事者であるいとう漁協からすれば、できることなら追い込みを行いたいに違いないだろうし、技術の継承をしていきたいはずなのだ。
イルカ漁を過去のものにしたいのは、伴野氏であり、国や県であり、ジオパークの関係者なのであって、当事者の意識とは大きく乖離している。
著書の中でも、現在の当事者に話を伺い、継続していきたいという意思を知りつつ、「すでに過去のものだ」とまとめるところこそ、今回の記事のタイトルにあるように、いとう漁協への取材が蔑ろにしている最たるもののように思える。

そして、前回の記事と合わせて考えると、伴野氏の意識の中には「どうせ田舎で起きていることなのだから、それを精査する人間など少ないだろう」というところがあるのかもしれない。この「イルカ漁は残酷か」という本について調べを進めていくにつれて、徐々にそういう意図が見え隠れしているように思える。
だからこそ、当事者の主張や意思を蔑ろにして、著書としてまとめることができたのだろう。

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