クジラ、食べていますか?

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「鯨食は日本の文化である」と声高に叫ぶ人がいます。
僕もそう思っていますが、実際に定期的に鯨を食べている人はどれくらいいるのでしょうか?

本来このタイミングなら、リック・オバリー関連のニュースを書くべきなのだと思います。
それに応じて反捕鯨・反イルカ漁界隈の人たちが、「リック・オバリーを助けよう!」とツイートストームを始めていることも、一部の人たちとって重要な出来事かもしれません。
でも、それは他のブログでも扱っていることでしょう。
ですから、今回は僕が書かなければならないと感じていることを書きます。
 

鯨食は日本の食文化のなのか?

僕はクジラやイルカを食べることが大好きです。
我が家はそれほど裕福ではありませんが、世間一般の人たちからすると、かなり多めにそれらを食べているのではないかという自負もあります。
だからというわけではありませんが、鯨を食べて応援するとともに、自分にもわかりそうな部分はアドバイスをしたりします(専門家ではありませんので、それほど多くはありません)。
 
最近よく、「鯨食は日本の食文化なのだから、それを他の国の人にとやかく言われたくない」と、そんな主張を目にします。
そう主張されているのですから、きっとたくさん召し上がっているのだろうと思って覗いてみると、書いた本人は月に一度くらいは鯨を食べているのかなと思いきやそうではなく、中には年に一度も食べていない場合があったりします。
このような姿勢で「クジラを食べることは伝統だ」と主張する人たちを、他の人はどう思うのでしょうか?
 
僕が見た範囲では、保守系で排外的なスタンスの方に、そういった方が多いように思われます。
このような人たちの場合、鯨食よりも、何か別のもののために、こういった主張をしているのではないかと思わざるを得ないのです。
 
 

では実際どうなのか?

正直にいうと、僕自身も、自分が思うほどには鯨を食べられていません。
そうなってしまった理由の一つが、鯨肉加工食品を見かける機会が、特にここ最近減ってしまったということもあると思います。
僕の周りでは、以前は頻繁に尾羽などが置かれていたスーパーが尾羽を扱うのをやめ、年末年始限定ではありますがアイスランド産と思われるベーコンなどを置いていたデパートでも、この年始はベーコンの姿を見かけませんでした。
昨年は南極海での捕獲調査が見送られたために、在庫が少なくなっているのかもしれませんし、他にも事情があって一般的なスーパーやデパートでの扱いが少なくなってしまっている可能性もあるでしょう。
故に、実際には毎日食べたくても食べられないという現実があります。
それでも、折にふれて「今日は鯨を食べたい」と思う日があり、今年の正月はアイキャッチの写真にもありますが、鯨のさえずりと太地産のゴンドウクジラの皮の部分を加工した「もちくじら」というものを食べました。
 
今はネットを利用すれば専門店から直接取り寄せることもできる上に、外食のレビューサイトなどで検索すれば、鯨肉の美味しい料理を提供してくれるお店もあり見つけることができるでしょう。
にも関わらず、実際に食べている人を、実際に見かけることがなぜか少ない気がするのです。
 
食べている人もいるでしょう。
僕もネット通販を利用したり、太地に行って鯨料理を提供してくださる食堂で、鯨料理を食べています。
しかし、どちらかというと、食べることではなく、喚く方に口を使っている人の方が、圧倒的に多いのではないかと思うのです。
 
 

鯨食衰退の理由は何か?

もし仮に日本の鯨食文化が、今よりも強固で、日本中が年に一度くらい、誰もが鯨を食べる機会があるというようなものだとしたら、売り場でももっと大きな扱いになっていたのではないかと思えます。
しかし実際はそうではなく、どちらかといえば珍味扱いの、人によっては全く食べる機会がない、そういった存在になってしまっています。
そうなってしまった理由は、おそらくは調査捕鯨の最初期における販売戦略が間違っていたからではないかとも考えられます。
調査という形になり捕獲できる頭数も減り、一般的なもの流通経路を利用することができず、結果としては販売できる店舗がドンドンと減ってしまったことで、多くの人の食習慣から鯨肉が消えてしまったのです。
結果、食べ方を知っている人や、教えてくれる人がいなくなり、鯨肉は「得体の知れない食材」となってしまいました。
厳しい見方をすれば、今の状態で「鯨食は日本と文化だ」とは言い難くなってしまっている状態だと言えます。
 
 

そのまま行けばどうなるか?

調査捕鯨は縮小され、大手ネット通販サイトを海外の活動家の妨害活動によって、小売店の利用が禁じられた現在、鯨肉加工食品を扱う飲食店や小売店では、かなり厳しい状態になっているはずです。
スタッフの高齢化が元で実店舗を閉鎖し、業務用の取り扱いと、ネットでの小売販売という形に縮小したお店もあるでしょう。
当然、廃業するケースも出てくるでしょう。
このようにして、鯨肉はより一層、庶民の口に入りにくくなっていくのです。
文化だと主張するなら、その文化を守ろうとしなければ、いつかはそれらを取り戻すことはできなくなるのです。
そうなってからでは、本当に遅いのです。
 
 

喚くより食え

欧米人の持つエスノセントリズムに対して、主張したくなる気持ちもわかります。
それ自体は正しい行いかもしれません。
しかし、その行為に快感を覚え熱中してしまうだけなら、本当に守らなくてはならないものは、いつか滅んでしまうでしょう。
食文化とは、食べることの文化のはずです。
なら、それを正しく守るのは、食べること以外にないのではないかと、僕は思うのです。
あなたが本当に、クジラを食べることを、日本人の食文化の一部だと信じているのなら、それを実際に行い、多くの人に示さなくてはいけません。
あなたが本当にそう思うなら、態度で示すべきです。

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