スラックティビストの自慰行為が世界を変えることはない

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今回の記事は、捕鯨問題とはあまり関係ないことではありますが、最近感じたことを少しだけ書いてみました。

インターネットが普及して、個人が簡単に情報発信を行えるようになった現在、ブログやTwitter、Facebookなどを通じて自分の意見を世に放つ人たちが非常に多くなってきた(このブログもその一つだ)。
それらの個人メディアはもちろん玉石混淆ではあるものの、時として地道な調査から重要な情報にたどり着くこともあり、今ではやや重要なものになってきているのではないかと個人的には思っている。
ところが逆にインターネットから負の影響を受けたスラックティビストも存在しており、匿名性を隠れ蓑に無責任な発言を繰り返している。

自分で調査をせず、嘘を繰り返す

こういった手合と議論をしたところで、なんら得することはなく、得られるものも何もない。
これは僕の経験だが、とあるスラックティビスト(噂によると10年以上、毎日掲示板にはりついている人物だそうだ)との議論の際に、「ではその証拠を提示して下さい」とお願いしたところ、「証拠はない」とのことだ。
ところが彼女は僕に対しては詳細な証拠を求め、「記録にないのだから行われていたことにならない」と、写真まで残っている事柄について否定するわけだ。
僕はその写真や資料自体を入手するために、現地の方にお話を伺う(SNSのDMから電話での聞き取りまで)、実際にその土地まで足を運び、一般で流通していない書籍を購入し、Facebookのフレンドに書籍を融通していただくお願いをしたりなど、それなりに労力と金銭を負担し、時には専門家に話を聞くなどして、自分の考えをまとめて話をしているわけだが、この手のスラックティビストは、そういったことは一切しない。
書籍や資料も読まず、現地の方に確認すらせず、自分に都合のよい検索結果をファイルに保存し、コピペを繰り返すのみである。
検索以外で自分で調べることもせず、誤った情報だと議論で明らかにされたことでさえ訂正せず繰り返す。
たしか「解体新書「捕鯨論争」」に、「真実が靴を履く間に、嘘は世界を半周する」という言葉がまえがきにあったが、その「嘘が世界を半周する」ための時間稼ぎをするために、怠慢な態度で議論を仕掛け、嘘を繰り返すのがスラックティビストなのかもしれない。

相手の発言やモラルの基準を都合よく利用

また、この手の人間がよく行うのは「相手の発言の一部を自分の都合の良い様に引用する」ということだ。
時として、文章の内容が真逆になるように引用することすらある。
例えば、Twitterに書かれた140文字の中で、前半と後半では反対の内容だったりする(そして前半の内容を後半で否定しているため、本来の内容は後半の内容に準ずる)ツイートがあったとしよう。
この140文字を、文字数制限がTwitterの何倍も緩い某掲示板で、前半の70文字程度だけを引用して、その意見に賛成したりツッコミを入れたりして、いかにも自分が相手よりも知識があり、議論に優っているような印象を与えようと、印象操作を試みるわけだ。
さらに酷いものになると、単語だけを引用して反論することもある。
その人物は、その掲示板で質問への返答を心待ちにしている相手の存在をスルーして、わざわざその掲示板にいるわけではない、Twitterでツイートしている第三者に絡みに行き、Twitterの元のツイートを都合の良い引用で利用し、「どうせ元ツイートの内容なんて精査しないであろう」と高をくくって、言ってもいないことに反論を繰り返したりしているわけだ。
このような人物だからこそ、まともに議論をしたところで議論になるはずもなく、積み上がった問題や今まで発言した間違った事実が、コピペや嘘リストとしてポストされるようになると、今度は「コピペは荒らし行為だ(または「同じ質問を繰り返すのは荒らし行為」だ)」といいはじめる。
しかし、この人物は、今まで議論と無関係に掲示板に貼り続けて議論を阻害し続けた自分のコピペについては荒らし行為だと認めず、現在も繰り返し続けている。
自分に都合の悪い事実は無視して、自分に都合の良いことは例え矛盾していても利用するわけだ。

「イメージで語るな」と言ってはみたが……

その人物は、時として「イメージで語るな」と発現することがある。
例えば、相手の発言に想像や仮定の内容が含まれる時、そのようなことを相手に向かって言い放つ。
また、「お前の妄想(もしくは憶測)など必要ない」といった、やや攻撃的なニュアンスの言葉を相手に向かってぶつけることすらある。
しかし、その一方で自分の発言には当然確たる証拠がない(あったとしてもネット上にソースがあるものだけ)なので、かなりの割合で憶測が混ざっている。
さらに「俺のように一次ソースを元にして発言しろ」などと言ってしまったりするわけなんですが、その人物が提示するのは大半がネット上に存在するソースだけで、一次ソースどころか二次も三次も直接関係するソースが無いことも珍しくはなく、場合によっては「その人物を信じたいから信じる」的な発言をすることもあり、じゃあ一体一次ソースとは何だったのかと首を思い切り傾げてしまうような状態に陥ってしまうこともある。
結局はこれはもう一種の信仰のようなものであり、議論の結果などではなく、自分が信じる道をゆくとしか考えていない人物なのだなと感じずにはいられない。

スラックティビズムが世界を変えることはない

以上、いくつか思い当たったことを書いてみたが、重ねて言うが、こういう手合と真剣に、それこそ実際に顔を突き合わせて話をしようとしたところで、当然努力は無駄に終わるし、何らかの結論にたどり着くことはないだろう。
実際、掲示板の話の流れて、その人物に「ぜひ東京で会いましょう。直接会ってお話しましょう」と呼びかけてみたが、結局その人物は返答を避け、のらりくらりと言い逃れることに終始したわけで、「どうせコイツは出てこないだろう」と端から考えていた自分が正しかったことを、図らずしも裏付けてしまった結果となった。
また、このような人物は「では、当事者に確認してみてください。僕は電話で確認しました」といってみたところで、実際に電話で問い合わせるようなことなどしない。
ただただ、ネットにある文章の一部やURLをコピペして、悦に浸り、反論にもなっていない反論を繰り返すだけでしかない。

つまりは、議論をするだけ無駄だということだ。

ひとつ言えることがあるとするなら、たとえスラックティビストが10年以上ポータルサイトの掲示板に張り付き(しかも複数のアカウントで)、知人のものでもないブログのコメント欄にデマを書き込み、Twitterのアカウントに対して抱いた妄想を、匿名掲示板に垂れ流し、Wikipediaで私情だらけの意見で編集行為を繰り返して書き込み禁止措置をされたとしても、世の中というものは変わりはしないということだ。
そのコップの中の嵐に飛び込んで、自分の承認欲求を充足させるにはいいかもしれないが、それは時間の無駄というものだ。
まあ、誰とは言わないが、ただ反論したい、言い返したいというだけで、某掲示板の議論のテーマそっちのけで揶揄を書き込むような人物もいるが、それを相手にすることも、同じく無駄なことだと最近思うようになった。

まあ、そんなわけでTwitterのメインアカウントに鍵をかけてみたわけだが、ネタを探すのに困ったその人物は、僕のことをネズミだと言っているそうだ。
じゃあ、そのネズミにすら対峙できないあなたは、ネズミ以下だということになるが、それはお分かりなのだろうか?
きっと、そのネズミのつぶやきを燃料に掲示板で活躍しているわけですから、きっとノミかダニみたいなものなんだろう……。
そのノミやダニのような人物が、どれだけの長い時間で、果てしなく限りない回数の自慰行為を掲示板などで繰り返してみたところで、ネズミよりも大きな世の中という存在には到底かなわないわけだから、そう考えると、世の中というのは残酷でもあり、理にかなったものだなとも思えるわけだ。