オフェルドマンのウソが紡ぐザ・コーブの虚構

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リック・オバリーこと、リチャード・バリ・オフェルドマンは、先日のサラ・ルーカスが太地町の「町立くじらの博物館」を相手取った訴訟でも、「太地町立くじらの博物館には『イルカは海のゴキブリ』という表示がある」というデタラメな主張をカメラの前でしていたが、この人物の様々な主張が、実は虚構なのではないかと思われる痕跡が明らかになってきた。

重要なシーンでも平気でウソをつく

僕自身、町立くじらの博物館には何度も足を運んでおり、年間パスポートも所持しているが、『イルカは海のゴキブリ』という記述は館内の何処にもない。
この元ネタは小松正之氏が「ミンククジラは海のゴキブリ」といったことだろう。
海外の報道関係者にはバレないだろうと、適当な事をいうオフェルドマンは、さながら詐欺師のようなものである。

キャッシーの自殺は嘘だった

オフェルドマンは、事ある毎にイルカは自殺すると主張し、キャッシーと呼ばれるイルカを通して彼自身がそのことを知ったというような主張をしている。
しかし、いくつかの証拠から、この主張自体が怪しいことがわかってきた。

まずは、リック・オバリー著「イルカがほほ笑む日」のキャッシーが死ぬシーン(p300-301)では、オフェルドマンが駆けつけた頃には、キャッシーは瀕死の状態だった。
大きな醜い疱疹がほぼ全身を覆っているような状態で、既に命が長くないことはオフェルドマン自身にもひと目でわかる状態だった。
その後、オフェルドマンは水の中に飛び込み、キャッシーはオフェルドマンのところまで泳いできたが、オフェルドマンのところまで辿り着いたところで尾びれの動きが止まり、キャッシーは死んでしまった。
この時、オフェルドマンは「キャッシーは自ら呼吸を止めて自殺した」とは証言してはいない。

またWikipedia日本語版のリック・オバリーの項目でも、以下のように記述されている。

一頭のキャシーが疲労と撮影用ライトの熱による皮膚の炎症(イルカは皮膚の乾燥で火傷に近い状態になる)及び疲労によるストレスが原因で死亡すると、「『フリッパー』が原因で世界中でイルカ・ショーが始まり、イルカが捕獲されるようになったのだ」とオバリーは自分を責め、その日から自らの贖罪のため、イルカを救うことに人生を捧げるようになった。 「自分で呼吸を止めたんだ。自殺だと思う」と、オバリーは「イルカは調教の結果ではなく、自ら命を絶った」と主張し続けている。

「イルカがほほ笑む日」を執筆時には主張していなかったイルカの自殺を、何時から言い始めたかは今のところ不明だが、ジョン・C・リリー博士との交流もあった-オフェルドマンだからこそ、現実を客観的に受け入れることが出来ず、自分の思い描いたイルカという存在の持つイメージを用いて、目の前で起きた事象を意味づけした可能性があるかもしれない。

イルカの喉を切り裂いたのは、実はオフェルドマン自身だった。

次に、「太地町の漁師が、オフェルドマンがカメラを持っていないことを確認すると、わざわざ見せつけるように子イルカの喉をかき切った」と主張している事柄についてだが、これはそれを行う理由が見当たらず、全く意味不明で、なぜオフェルドマンがこのことを語ったのか理解に苦しむところだが、しかし、オフェルドマン自身には、その行動の意味するところを想起させるかもしれないエピソードが実はあった。

「イルカがほほ笑む日」のp105-p106に、彼自身がイルカの「あごの下から腹へかけてのどを切り開いた」というエピソードが登場する。

オフェルドマンはサウスカロライナの沿岸で、アルビノイルカを追っていた時のこと、別のイルカを、誤って網にかけてしまう。
発見した時には既に遅く、イルカは死んでおり、オフェルドマンは反対運動(おそらくは今のオフェルドマンがしているのと同じような、イルカ漁反対運動のことだろう)を組織している地元の人の眼からイルカの死体を隠すために、イルカを切り開いて沈めたということが記されている。
この、過去の経験が「イルカの腹を割く」行為への言及につながったのではないだろうか?
そもそも、太地町でのイルカの捕殺は銛や捕殺ナイフ(突くことに適した特殊なナイフ)によって行われるため、わざわざイルカを切るような、道具に適していない動作をするのは不自然だが、自分自身の経験から類推して、「こういうことをしたのであろう」という妄想で主張をしている可能性はかなり高い。
実際、ザ・コーヴで映しだされている捕殺のシーンは銛によるもので、主に船の上から行われており、わざわざイルカの腹側が相手に見えるように抱えるようなことは行われていない。
「カメラがないのを確認して」という以前に、隠し撮りのシーンでさえそういった行動が見られてない以上、これらの主張にはかなり矛盾が生じる。

もしくは、当時は開放型であった漁協の施設で行われていた作業を、「わざわざ自分たちに見せつけているのだ」と勘違いし、そのような主張をしたということも考えられる。
だとすれば、わざわざ「カメラを持っていないことを確認して」という主張も奇妙だ。

どちらにしても奇妙なのは、太地町漁協の事務方である〆谷和豊さん(反捕鯨団体のスタッフは彼のことを「プライベートスペース」と呼んでいる)がわざわざそれを行ったと主張していることだ。
「怒りのあまり激昂している人物」というオフェルドマンにとってわかりやすいキャラクターが、そういったエピソードを語らせたのかもしれないが、どちらにしても矛盾だらけの話だということに変わりはない。

ザ・コーヴはオフェルドマンの脳内設定が色濃く反映されている映画

以上、確認できる範囲でオフェルドマンの主張の怪しい点を上げてみたが、おそらく探せば更に出てくることだろう。

彼の経歴自体、実はかなり怪しいもので、元々イルカを捕まえて水族館に売る「イルカハンター」としてアルビノのイルカを追い込んだことがある。
つまり、現在彼が批判しているようなことを、金のために行っていたのだ。
彼は、この時の近隣の反対運動について感じることは多かったのだろうか、このことを公には語ってはいないようだ。
また、白いイルカの持つ商品価値にも詳しかったのだろう。
何故なら、彼が捕まえたアルビのイルカは「カロライナ・スノーボール」と呼ばれ、マイアミ水族館ではスターとして扱われ、多くの人を魅了したことをすでに知っていたからだ。
こういったエピソードは彼らの活動にとって都合が悪いせいか、このことについてはほとんど言及されていない。

また、オフェルドマンは「『フリッパー』が原因で世界中でイルカ・ショーが始まり、イルカが捕獲されるようになったのだ」と主張しているが、日本の水族館でイルカのショーが始まったのはフリッパーの本放映(アメリカでの放映)よりも古い。
日本最初のイルカショーは昭和32年(1957年)に江ノ島マリンランドで行われており、1964年にアメリカでの放映が始まったわんぱくフリッパーよりも昔であり、更に付け加えると、太地町での小型鯨類の生体販売自体もわんぱくフリッパーに先んじること31年前の1933年(昭和7年)に行われている。
このように、オフェルドマンの隠したいことはザ・コーブでは語られることはないし、逆にウソであっても語りたいように語られているという、虚構のドキュメンタリーがザ・コーヴという映画なのだ。

今でも時折見かけるが、ザ・コーヴのような虚構だらけの映画を鵜呑みにしてしまうような人にとっては、オフェルドマンの主張は全て正しいと判断してしまうのだろうが、それでは新興宗教と同じだと言わざるをえない。