イルカ保護活動とレイシズム

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よく「反捕鯨活動はレイシズムに基づいたものだ」という言説を目にしたり耳にしたりするが、個人的にはそれだけではないだろうと僕は考えていた。
しかし、実のところはレイシズムによるところもかなり大きいのではないかと、最近思うようになってきた。
その一つとして、本日目にしたものについて、少し書きたい。

地域を愚弄する活動家

それは、このFacebookの記事(リンクは魚拓)なのだが、その中のコメントに注目していただきたい。
以下、引用する(ボールド部分は管理人による)。

Sakura Paia 植えちゃん、よく探したねー、2チャンネル?なんか、色んな暇人なページがあるねんなー!暇人は、ほっとこう!あ、でも猟師さん達の方が在日らしいでー。しかも朝鮮人はイルカ追込み猟に反対しないやろー、関係ないし、しかもイルカ追込み猟賛成やと、思うでー。だから、私らの事、反対してる方が、日本人と違うと思う、アホやなーははは!ま、今時、ソナーの話を出してくる、出遅れさんに、一から説明する無駄な時間を使わんとこうぜー、三次元に置いていかれる方達だから。あはは、あかん笑けるー。ブロックしよー、私らの事嫌いやのに、チェックするって、好きなんか?実は?あははは^o^
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4 hours ago via mobile

さて、このコメントを読むだけで頭がクラクラするのだが、ボールドにした部分について少し考えたい。
まず、あ、でも猟師さん達の方が在日らしいという部分だ。
この人物の書く日本語が非常に怪しい(誤字・脱字というレベルではなく、意味がわからないという意味で)わけだが、この部分は事実無根の誹謗中傷であることは、太地町の事情に詳しい人ならすぐに分かるだろう。
太地町は3400人程度の人口しかいない寒村でしかない。その3400人の多くは古くから太地の町に住みつづけ、町の盛衰を見続けてきた人たちである(太地町は高齢化が顕著な土地でもある)。
そんな、「どこを見ても知らない人間がいない」ような土地で、しかもある意味町の象徴的な産業であるイルカ追い込み漁で、余所者が関われるような余裕が果たしてあるだろうか?
このように、事実と反することを放言し、しかも「在日」というレッテルを貼る(「奴らは日本人ではない!」と言っているわけだ)ことで、相手を見下げるのだ。

次に朝鮮人はイルカ追込み猟に反対しないという部分。
この人はよほど事情に疎いのか、ただ頭が軽いのか、その辺りは不明だが、韓国でも市民団体の抗議によってイルカショーをやめる水族館が出てきている。
当然、この反対運動をしてきた人たちは、追い込み漁に賛成するわけがない。
「朝鮮人はイルカ追い込み漁に反対しない」などという見方は偏見でしかなく、前述のボールド部分を合わせれば、この人物の人種差別的な思考が見えてくることだろう。

そして最後のボールド部分の私らの事、反対してる方が、日本人と違うと思う、という部分だ。
前述した二つと合わせて考えていただきたい。
「追い込み漁に携わるヤツは在日! だって朝鮮人はイルカ追い込み漁に反対しないはず!!」
「追い込み漁に反対しない奴は日本人じゃない! 日本人は私達に反対しない!!」
この人が差別主義者じゃなくて、一体何なのだろうか?
地域を愚弄する活動家の見本として、是非記憶に留めたいところである。

スラックティビズムはヘイトにつながる。

職業差別、地域差別、そして人種差別。
この人の場合、イルカの保護からくるヒステリックな言説は、ヘイトスピーチへと変化しているわけだが、こういった活動家の基本的な姿勢はスラックティビズム(やってもやらなくても変わらないような活動)だといえるだろう。
厳密には、この人の場合は現地に滞在して、活動報告をしているわけで、スラックティビズムとはいえないかもしれないが、根本的な問題解決をせずにヘイトを煽るような単純な活動しか行わない姿勢は、スラックティビズムといっても差し支えないと思う。
以下、Wikipediaの「スラックティビズム」より引用する。

この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。こうしたスラックティビスト(スラックティビズムにあたる行為をする人)たちの行為は、多くの場合、個人の労力や負担を必要としない。

社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為というのは、まさにこの人の活動を評価するのにぴったりな言葉ではないだろうか?
太地町でイルカ追い込み漁を「監視する」という名目で、FacebookやTwitterで差別的な発言を繰り返す人たちの多くは、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為という表現にぴったり合致するだろう。
問題を解決しようなんて、全然思ってはいないのだ。
だからこそ、地域や職業を愚弄し、あまつさえデタラメな主張で人種差別までするような人間に、問題解決をする資格が、果たしてあるだろうか?

……思ったことを色々書いたが、僕の書いた記事を読むより、この動画をご覧いただくほうが核心に近いかもしれない。
テキサス親父氏は「臆病者」と表現しているが、僕は「怠け者」でしか無いと感じている。その程度の違いだろう。
これらの活動家は、太地町に居座り、ヘイトを煽って寄付を募っているだけでしか無いのだ。
そして、そのヘイトの中にはレイシズムが確実に含まれると考えたほうがいいだろう。

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