鯨肉、余っているのか?マズイのか?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

世間では、先日の日経のニュース以前から「鯨肉は余っているのだから安くならないか?」という話や、「あんなマズイものを誰が食べるのか?牛肉のほうがよっぽどウマイじゃないか!」と言った話も聞かれますが、それは果たして本当なのでしょうか?

IKANが公開している鯨肉在庫量のグラフ

IKANが公開している鯨肉在庫量のグラフ

「在庫」=「余っている」=「売れていない」とする文脈

さて、よく聞かれるこの「鯨肉は余っている」という話や「鯨肉は売れていない」という話は、見方によっては正しくないといえます。
理由は、まず、在庫(ストック)として確保されているものはまだ資産であり、余っているわけではないからです。
これは、調査捕鯨副産物(以下、副産物とします)という商品の入荷や供給の特殊さによるとことが大きく、副産物が入荷される時期は基本的に決まっており、その決まった時期に入荷されるものを、一年を通して供給しなければならないため、一時的に在庫が増えることは想像に難くない事だと言えます。
また、昨今ではアイスランド産のナガスクジラが輸入されていることもあり、その在庫や、沿岸捕鯨による「IWCで指定されている以外の鯨類の肉」なども、一緒にカウントされている可能性があり、イコール「調査捕鯨で得られた副産物に買い手がつかない」という考え方自体は、明らかにミスリードを誘っている。
つまり、「在庫はあるがそれらが全て調査捕鯨によって得られたものではない」わけだ。
この点について、環境左派の方々は、日本の調査捕鯨を止めさせたいばかりに調査捕鯨をターゲットとした情報として書いているようだが、こういった情報の出し方はフェアとは言いがたい。
その典型的なものとして、最初に登場したグラフが存在するわけですが、これにしてもよく見ないと折れ線グラフがJARPA(南極海鯨類捕獲調査)と思ってしまいますが、折れ線のグラフは在庫の総量であり、JARPA該当分の在庫は薄い緑色(パッと見よく分からない)の部分です。
つまり、このような紛らわしいグラフを用いて、「鯨肉は余っていますよ」と説明するのが、こういった団体の仕事なのです。
ちなみに、その折れ線グラフは見方を変えると、2006年に2010年同等の在庫量がありましたが、そのあと一旦減っています。
さて、これは何故でしょうか?
不良在庫だから捨てたのでしょうか?それとも何処かに隠してしまったのでしょうか?
残念ながら、IKANのこのページには解説が書かれていません。
それは当然といえは当然で、彼らからみれば「鯨肉は常に余っていて売れているはずのないもの」ですから、鯨肉の在庫が減っていた時期があったことなど、あってはならないわけですから。

では、逆に鯨肉を売る方の悩みは何か?
これは、鯨肉という商品の特殊さによって、「大量に仕入れて大量に売りさばくことができない」ということが挙げられます。
そして、景気の低迷によって、鯨肉のような高価な商品は売れにくい状態にあるということです。
ちなみに、2007年以降はサブプライム住宅ローン問題などで、景気が低迷してきているわけですから、食費を抑えようとするのは当然で、よって高価な鯨肉は売れにくくなってきていることは事実でしょう。
しかし、これを「日本人の鯨肉離れ」と表現するのは、果たして正しいのでしょうか?
また、以前の「くじらとーく」この記事でも抜粋させて頂きましたが、特殊な商品故に宣伝を大きくうって売るわけにも行かず、かといって切らしてしまわないように流通させるのは、売り方としては難しく、マーケットでも「鯨の大和煮の缶詰が半額!」なんて売り方ができないわけです。
流通量自体が少ないわけですから、たたき売りをするわけにも行かないのが現状なのです。

「在庫があるのに流通量が少ないのはおかしくないか?」と思う方は、是非他の畜肉や水産物と比較していただきたい。
KATABIREのこちらの記事で面白いことが書かれていますね。

2004年の鯨肉の生産量は4000t。wikipedia によれば2004年度の国内豚肉生産量は88.4万トン、884000tである。さらに輸入豚肉は国内生産量に匹敵する86.2万トン、合計で1746000tである。436倍も生産量が違うものを比較して「鯨肉の消費量は少ない」などと主張するのはおかしな話だろう。

豚肉との比較でさえこの状態なのだ。
もちろん豚肉が売れていないというわけではなく、他の畜肉や水産物を比悪対象として並べても、同様に遥かに多いことは明白な事実です。
こういった食品と一緒に語れるようになるには、商業捕鯨モラトリアム以前の捕獲量にまで戻したとしても、恐らく難しいのではないかと思います。
その問題として、商業捕鯨モラトリアムの影響によるマーケットの著しい縮小や、中間に存在する人材の高齢化による不足(退職される方が多い)、また環境保護団体のアンケートという名の嫌がらせによって撤退する販売店があることなど、様々な問題が存在することも事実です。
一方、他の畜肉はどうか?水産物はどうだろうか?
皆さんで比較してみていただければと思います。

環境保護団体の嫌がらせのことについて、少し書きますと、こちらのPDFは奇しくも2007年から2008年の間に(先ほどのIKANのグラフと比較してみましょう)グリーンピースジャパンが行った調査の結果が書かれています。
このように彼らは、企業名を報告書に載せ、「国際環境保護団体グリーンピースが反対しているにもかかわらず、鯨肉を扱っている企業が存在するんですよ!」という印象操作的なレポートを作成して、一種の嫌がらせを積極的にしているわけです。
そうなると、結果として環境意識の高い方々が「それはけしからん」ということになり、そういったスーパーなどでの買い物を控えたりするかも知れないということで、当然扱う量を控えたり、自粛せざるをえないということになってきます。

つまり、「鯨肉離れ」という事象には、一部マッチポンプ的なことが行われているといっても過言ではないのです。
はたして、それは正確な評価といえるのでしょうか?
いい機会ですから、ぜひ一度皆さんで考えていただければと思います。

畜肉は本当に「美味しい」の?

次に、「鯨肉はマズイ」という話ですが、では「畜肉はほんとうに美味しいのか?」という疑問が出てきます。
最近の牛肉や豚肉は、本当にクセのない食べやすい肉になっています。
これは全て、畜産業に携わるすべての方々の努力の成果であり、このことには感謝しなければいけないでしょう。
しかし、残念なこともあります。
それは、「肉とは一体なんなのか?」ということが、どんどんわかりにくくなってきているのではないかと、僕は感じるのです。
最近、捕鯨問題をきっかけに、食べることについて色々考えるようになりましたが、ある時、「鯨と牛ではどうしてこんなに味が違うのだろうか?」と疑問に思いました。
無論、そこには食べているものの違いがあるのでしょうが、一番大きな理由は、人の手がかかっているか、いないか、という部分にあるのではないかと思いました。
鯨類は、海で育ち、人の手がかかっていない貴重な存在です。
生まれた時から海で育ち、海のものを食べ、成長していきますから、捕獲される以外は、全く人間の手が入っていない哺乳類なのです。
一方、畜肉は最初から最後まで人間が関与し、責任をもって飼育されます。
畜産業の方々のたゆまぬ努力のおかげもあり、肉質や臭み、サシの入り具合もコントロール出来るようになりました。
それが可能となったのは、陸上の動物として、飼育対象を研究しつくしたからで、原種の牛や豚は、現在の牛や豚と肉の味がかなり異なる可能性があります。

そして、人間の味覚もまた、同じように味を知ることで経験値が上がり、美味しさがわかっていくものなのです。
例えば、珈琲のような苦い飲み物を、どうして飲めるようになったのでしょう?
唐辛子の様な辛いものを、どうして食べられるようになったのでしょう?
塩のようなしょっぱいものを、なぜ利用できるようになったのでしょう?
初めてそれを食べた人は、誰も「美味しい」とは思わなかったのではないでしょうか?
その味を記憶して、経験を積み、そしてやがて「美味しい」と感じるようになるには、タイムラグがあるのです。
しかも、鯨肉は人間に妥協してくれるようなハードルの低く設定された食べ物ではありませんから、最初は味もわからなくて当然だと思います。
そこで、最初の問いにもどりますが、「畜肉は本当に美味しいのでしょうか?」。
それは「食べ慣れている」だけではないのでしょうか?
食べ慣れていないものに対して、マイナス評価を下すのは、まあ、当然といえば当然です。
しかし、それで「マズイ」と即断するのは、経験が足りないままなのです。
あなたがどうして苦いコーヒーを飲み続けられるようになったのか?
辛いカレーを食べられるようになったのか?
一度、思い出してみてください。
一体、何度目から美味しさが分かるようになったのでしょうか?

もう一つの問題としては、美味しさは、ある程度価格に比例することが否定できないからです。
美味しい物をたくさん知ってる人は、それを食べるだけ懐に余裕がある場合が多いです。
僕自身は未読ですが、「美味礼賛」という本には、「食べているものでその人のことが分る」というようなことが書かれている部分があるそうです。
これは言い得て妙で、例えばその人の、食事のマナーや、食べ物に関する知識を知れば、どんな生活をしていたかが、何となく分かると思います。
ですから、美味しいものは高いということは、ある意味事実なのです。
鯨料理や鯨肉加工製品に関して言えば、ネットで手に入れることができるようになって、比較的低価格(それでも食べ続けるには高いし、クール便などの送料がで更に高くなるわけですが)で楽しめる様になった反面、よく知らないで食べる(特に解凍で失敗するという話をよく聞きます)と「なんじゃこりゃ!もう二度と食べない!」ということにもなりかねません。
ですから、食べにくいと思われるのもわかります。
じゃあ、どうすればいいのかというと、僕自身にも解答はないのですが、「時々思い出して食べてみる」くらいでいいのではないかと思います。
余っていると報じられていても、実際は誰もが毎日食べられるほど、たくさんの在庫があるわけではありませんから、時々どこかでつまめばいいのではないかと思います。
その際は、ウマイやマズイではなく、「ああ、これがあのでっかい鯨の肉の味なのか」と思って食べればいいのではないかと思うのです。
そのうち、牛や豚なんかとの違いも舌がわかってくれるはずですから。


追記:
KATABIREの新着記事で日経の記事についての、しっかりと反論がされています。
お時間がございましたら、こちらもお読みください。

追記2:
IKANのグラフについての解説は以下のページにあります。
http://homepage1.nifty.com/IKAN/news/110105.html
このページにしても、2006年~2007年の在庫の減少に関するコメントがないように思われます
みなさんはどう思いますか?

追記3:
そもそも日経の記事にコメントしている方が石井敦という方が、解体新書「捕鯨論争」という本をIKANの関係者(かつ元グリーンピースジャパン関係者)とともに編著していることからも、その立ち位置は明らかで、少なくとも客観的とは言いがたいわけですが、日経的にそれはOKなんでしょうか?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る