ソーシャルメディアの発達で、環境問題や動物愛護の問題に対する活動は、どんどん安易に、そして劣化しているように思えます。これで本当に問題は解決するのでしょうか?
RTは活動なのか?
今回は個人的な雑感になってしまうのですが、最近考えたことをちょっと書きます。
最近、太地町界隈ではコーヴガーディアンがライブ中継をするなどで、一生懸命自分たちの活動をアピールしているようで、#tweet4taijiあたりでフォロワーを煽っているわけですが、フォロワーは基本的にRT(リツイート)するだけで、自分の言葉で何かを語ることはほとんど無さそうでした。
これは、海外のフォロワーだけではなく、日本で動物愛護や環境保護を声高に叫んでいる一部の人達にも共通することで、誰かのツイートをRTする事は多いのですが、基本的に何かを調べたり、自分の言葉で書いたり、ましてや現地に足を運んで状況を把握するような活動は、ほとんどしていないように思われます。
例えば、北海道の羆の「問題」や、宮島の鹿の「問題」、初島の猫の「問題」、太地町のイルカ追い込み漁の「問題」など、様々な「問題(括弧書きにしている理由は、見方によってはそれが問題ではないからです)」に「助けよう!」と声は上げますがほとんどのフォロワーはRTするのみで、何らかの考察を述べたり、対象の動物について知識を深めたり、現地について調査をしたりなど、そういった努力をする人たちがほとんどいません。
その結果、TwitterではRTでツイート自体は拡散されますが、まったく何も解決していないどころか、誤った情報が拡散され、地方の寒村などが対象となっている活動では、ありもしない因習や陰謀が公然とまかり通っているという、映画のような話になってしまっていたりします。
当然、結果は何も変わらず、活動はいつまでも終わらないでしょう。
スラックティビズムは金になる?
先ほど上げた太地町からのライブ中継ですが、ほとんどつながらない上に、ただ単に町内の散策にしか見えないという残念な活動なのですが、更には火曜日・水曜日はほぼ今までの動画を垂れ流している状態で、実質ライブは成立していないのですが、フォロワー達はきっと画面に釘付けだったのでしょう。TwitterのタイムラインはRTが繰り返され、興奮を共有しているように見えました(英語なのでわかりませんでしたが)。
そのライブを公開していたサイトには寄付のボタンがあり、閲覧者がシー・シェパードのサイトから自由に寄付ができるようになっています。
つまり、実際に活動していなくても、活動をライブで中継しているというフリで、フォロワーを集めて盛り上げて、寄付ページに誘導できるような仕組みになっているのです。
ですから彼らは、たいして実のある活動をするわけでもないのに、太地町にやってきて、現地で腕組みをして写真を取り、Facebookにアップロードするわけなのです。
同じように国内の一部の活動家や団体では、寄付を募るために活動がより過激になっている傾向が見られます。
また、より実績を上げている地元の団体にクレームを入れて、誹謗中傷をすることで、存在感を示すような活動をしているところもあるようです。
当然、そういった活動を行なっている活動家や団体は、何ら成果を上げることは出来ないので、支援者は無駄な寄付をすることになるのですが、支援者は支援者で実質的な成果が上がっているかという部分については、あまり気にしていないようにも思えるのです。
大切なのは実のある活動
先日、FacebookにTourism for Taijiというページが登場しました。
趣旨は、太地町の観光産業を盛んにすることでによってイルカ追い込み漁をする必要をなくすというようなものでしたが、最終的には「ブルーム市に太地町との姉妹都市関係を解消させよう」というような圧力をかけようとする方向に活動がすすみ、署名の準備まで始めました。
結局、彼らは現地の文化や伝統、人々の営みを理解することなく、インターネットの署名サービスで、てっとり早く自分たちにできることを選択したわけです。
こういった活動が実を結んで、何かが変わるとは、恐らく誰も思わないでしょう。
彼らに必要なのは、実際に太地町の文化や伝統について誰かから学び、その上で住民たちと話し合うことではないのでしょうか?
本当に何かを守りたいのなら、その対象や場所について学び、現地の人と協力しあわない限り、実現はしないでしょう。
額に汗して、手を汚し、靴の底をすり減らして、知恵熱を出しながら、理想を現実にしていくのではないのかと、僕は思うわけです。