あの時から10年

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もう少しで、3月11日を迎えることになる。2011年の東日本大震災から10年が経とうとしている。そして、「くじらとーく(KUJIRA TALK)」という名のこのブログもまた、紆余曲折を経て10年が経とうとしている。

マイルストーンとして

この記事には、特に何か意味があるわけではない。
単に、本日買い物の際に見かけた缶詰(アイキャッチの鯨大和煮)がそのことを思い出させたわけだ。

この木の屋石巻水産の缶詰は、震災以前の同社の魚油タンクのデザインのモチーフとなったもの。
魚油タンクについてはこちらのニュース記事をお読みいただきたい(時事通信魚拓)。

現在では、より今風のデザインの缶詰が多く出回っていることもあり、当時と同じデザインの缶詰が販売されていたことを、恥ずかしながら知らなかった次第。

「あれから10年も経ったのか」
確かにニュースではそのことが報じられることが多くなったが、そのことを深く実感したのは、まさにその瞬間だった…。

そのことを忘れたくなくて、この記事を今書いている。

あれから10年も

鯨ベーコンが大好きで、捕鯨問題自体にはそれ以前から興味があり、過去に運営していた様々なブログで時々言及していたが、捕鯨問題を中心に据えて記事を書き始めたこのブログの原型(ドメイン失効により魚拓のみ現存)は、10年前のゴールデンウィークにザ・コーヴを海外のサイトで視聴したことをきっかけに始まった。

当時は現在の形態と異なり、ライブラリのようなものを作りたくて、いわゆるブログ的なシステムではなく企業サイト向けのものを使っていたが、調べ物が追いつかず記事を書き進められなかったことや、途中でシステムが壊れてしまったことなどの理由もあって、半年ほどして現在のようなブログ形式に移行した。

このブログは、10年近い時間が経つというのに、この記事を含めて113記事しか書かれていない。
更新比率を考えると、平均で1ヶ月に1記事も書かれていないことになるが、このブログの更新をきっかけに太地や師崎や富戸、神津島や八戸など、貧乏人にも関わらず様々な場所に伺うことができ、また多くの人のご厚意で資料などをお譲りいただいたり、時には別のことに関わらせていただいたりと、様々な縁をいただくことができた。

飽きっぽくて何かを継続し続けられない僕が、多分、結婚生活の次に続いているのがこのブログなのではないかと思っている。

この先10年も

そして、こんな自己満足以外のナニモノでもないブログを、更に10年は続けたいと思っている。
何故なら、捕鯨やその周辺のトピックスというものは、それだけ考え論じるに値するものだと感じたからだ。

太地町という場所に縁を得てから9年が経ち、その間にも反捕鯨団体(動物愛護団体)の主義主張は変化し、構成する人材もハラスメントの方法も時代に合わせて変遷している。
その当時はまさか日本がIWCを脱退する日が来るとは思いもしなかった(心のどこかでは「脱退してもいいんじゃないのか?」と思っていたが、同時に「脱退しないだろう」とも思っていた)。
過去と比較して限定的ではあるものの、商業捕鯨を再開できる日が来るのは、もっと先のことだとも考えていた。
「事実は小説より奇なり」とはいうが、ザ・コーヴを初めて視聴した時には想像だにしなかった現実が、目の前に広がっている未来に僕は今いるわけだ。

今振り返ると、こんなにワクワクすることは、そうはないと思う。

唐突だが、渡辺美里の曲に「10years」という曲があって、その歌詞の中にこんな一節がある。

あれから10年も
この先10年も

行きづまり うずくまり かけずりまわり
この街に この朝に この掌に
大切なものは何か
今もみつけられないよ

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55283

この曲のこの部分は、今の僕とこのブログの先行きを予感させる。
愛知県の西の端から茨城県の西の端に場所を移し、朝に夕にゴロゴロと転がり続けながら、自分が大切だと思うことだけを、結論にはたどり着けないかもしれないが、この先も考えていくのだろう。

そんなわけで、このブログは呆れるようなスローペースでまだまだ続くことになるだろう。
まあ、月に一度、更新するかしないか、しない確率のほうが高いブログだが、お付き合いいただければ幸いだ。

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