サボっていたこのブログを一週間ほど更新してみたが、その中で自分はどうあるべきなのか、どうやって生きていけばいいのだろうか的な話を、ちょっとまとめたいと思う。
この後は再び、更新が滞るかもしれないが、このブログを続ける意義を見つけた気がするので、お暇なときにでも読みに来ていただけると嬉しい。
どんなことを考えたか
和田浦から帰ってきて、地域と捕鯨の関わりについて、色々考えさせられたことから、現状の商業捕鯨への評価を憂い、「ありあまるごちそう」を見てグローバリズムと食の問題を考えてみたり、地域の捕鯨を掘り起こしてみたり、末端の消費者への働きかけの大切さを知ったり、エスノセントリズムへの批判の必要性を実感し、子供たちへのアプローチを知ることができて嬉しかったり、そんな一週間だった。
なぜか、ドキュメンタリー映画を続けて観ることになった。
「ありあまるごちそう」の前に「スーパーサイズ・ミー:ホーリーチキン !」を観て、ふと気になったのがきっかけで、この一週間には他に「ステーキ・レボリューション」「100億人―私達は何を食べるのか?」を観た。
4本目が異色に思えるだろうが、意外にも共通して言われていることもある。
これらの映画の内容を、全て鵜呑みにするのは危険だろうが、少なくともザ・コーヴをすべて事実として騒ぐよりは、かなりマシな反応だと僕は思う。
そして、これらの映画の指摘は、なかなかに難しい問題だったりするわけだ。
結論として思ったこと
結論として思ったことは「グローンバリズムや、エスノセントリズムに負けることなく、我々は守るべきものを守らなければならない」ということだ。
グローバリズムによって食の安心や安全を蹂躙されてはいけないし、エスノセントリズムによって思想信条や歴史や文化を汚されてはならないと思う。
そのために、足元にあるものや、手近で得られるものの価値を、もっと見直さなければならないのではないだろうか。
足元に埋もれた物の価値を再評価し、得られるものを活用することが、これからは大切になっていくのではないかと思う。
捕鯨文化や鯨食文化は、その最たるものの一つのように思う。
これからどうするか
月に一度は鯨を食おう
単に応援しているからというだけではなく、捕鯨には正当性があると改めて思ったからだ。
捕鯨は輸入牛肉などよりも遥かに環境に優しく、安全なものだと理解したし、10年後や20年後の、次の世代の人達にこそ、鯨食は必要なものではないかと思ったからだ。
現在、日本の捕鯨や鯨食関連の業界は、とても苦しい立場にある。
商業捕鯨を再開したばかりで、販路も商品もこなれていないために、消費につながらない状態ではないかと思う。
であるなら、僕自身がなんとかして食べて語るしか無いのではないかと思った。
現在諸事情で懐具合が寂しいところだが、なんとかして月に一度は鯨を食べて、そのことを書いていきたいと思う。
できる限り国産のものを食べよう
今回紹介したドキュメンタリーで共通している問題は、穀物メジャーを始めとした業界大手の企業による独占と末端への搾取だ。
「ステーキ・レボリューション」では直接ではなく別の形で出てくるのだが、環境保護方面で槍玉に上がる「畜産のための穀物」の問題である。
「ありあまるごちそう」「フード・インク」「100億人―私達は何を食べるのか?」の中では種苗業界による種子の独占によって、小規模の農家は延々と種子を買い続けなければならないという「無限に搾取される状態」で、正常な成長が望めないありさまだ。
残念ながら、こうした状況を招いたのは消費者が利便や廉価を求めた結果であり、僕自身もこのシステムの存続に加担している。
消費者として考えた結果、そうしたシステムにできる限り加担しないようにしたいと思った。
一番効果的だと思ったのは地産地消なのだが、スーパーを利用していては難しいだろう。
なので、できる限り国産の食品を食べていこうと思う。
少し調べてみたら、多くのファーストフードチェーンで、特に肉類は国産は望めない(鶏肉は比較的国産の場合が多い)ようだ。
残念だが、ハンバーガーは少し控えたいと思う。
必要なものにはお金をかけよう
僕の生活はそれほど裕福ではない。
というか、今は正直生活が苦しい(新型コロナウイルスの影響で、自宅待機が続いているため)。
しかし、それでも食べなければ生きていけない。
つまり、食べることはひつようなことなのだ。
そこにお金をかける意味は大きいと思う。
だからこそ、他はどうであれ、食べ物にはお金をかけたい。
何故なら、それは人間にとって必要なことだからだ。
生活が落ち着くまでは、いろいろなことができなくなるが、それでも食べることだけにはできる限り妥協をしないようにしたい。
……と、色々考えて方向性を定めてみたが、何処まで実行できるかは正直わからない。
それにしても、できる限り、そういったことを考えて、月に一度は鯨を食べて、捕鯨史や捕鯨文化、そして鯨類のことも考えて、これからもこのブログを更新していきたいと思う。