エスノセントリズムと報道

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先日、Facebookで気になる記事を見かけた。
それはどうやらネットのみで活動している、独自のメディアのようだったが、酷く偏った内容が気になったので、そのことについて少し考えてみた。

客観的視点ではない報道

その動画はTwitterにも同様のものが投稿されていて、この記事ではそちらの方を引用させていただくことにする。
なお、凄惨な部分もあるので、視聴の際はご注意いただきたい。

内容は、フェロー諸島のゴンドウクジラの追い込み漁であり、日本ではあまり話題にならないが、もう随分前から行われているものだ。

冒頭の動画では1984年からシー・シェパードの介入があったとされているが、佐々木記者の書かれた「シー・シェパードの正体」のP.139に、1986年と記述されている。
この際に、活動家が治安当局者のゴムボートに発砲するなど、穏便とは言い難い方法での抗議を行っている。
そのことは、その後の活動では語られることはなかったらしい。

その後しばらく時間が空き、日本の調査捕鯨の妨害や太地町での追い込み漁の抗議などで有名になった彼らは、再びこの島で活動を始めたようだ。
それがテレビドラマ「Whale Wars」でも扱われている。

さて、ご覧になった方は気づいていただけたと思うが、この報道の動画は彼らの視点で語られている。
シー・シェパードの女性活動家が語られることを、前半はそのまま扱っている。
彼女は言う。

グリンダドロップは欧州で最大規模の海洋哺乳類の屠殺です
主な手段としてイルカの群れを見つけると、陸地の応援部隊に連絡が行く
その後船で鯨を港まで追い込み港ではナイフを鯨の脊髄に突き刺していく
血が海に流れ出すとなぜか鯨たちは互いに寄り添って逃げようとしない

鯨の習性を知る人にとって仲間意識の強い鯨が状況を把握した上で互いの死を目撃する光景は耐え難いものです

当該動画の字幕の引用(0:22〜1:15)

ただ、この言葉を冷静に聞くと、おかしな部分が出てくる。
追い込み漁は陸地に向かって鯨を追い込む漁である。
故に逃げようとする鯨はどうしても密集してしまうわけで、これは鯨の仲間意識とは無関係だ。
こうした感情に訴えかえて虚実を交えて語るのは、彼らの手法なのだ。
それを警戒せずにまるまる動画の中で扱っているのは、客観的とは言い難い。

伝統とエスノセントリズム

ここで、もう一つ動画を紹介したい。既に何度か紹介したかもしれないが、古い動画が削除されているようなので、再度引用させていただくことにする。

この動画も、フェロー諸島の追い込み漁について扱っているが、フェローの人たちの様々な表情を扱っている、より理性的な出来栄えとなっている。
実際に食卓を見せ、彼らが鯨を調理し、食べる姿を見せている。
豊漁に喜ぶ人たちや、彼らの喜ぶ姿を見せている。

残念ながら日本語字幕はないので、内容を100%理解できていないのだが、それでも先程の動画と比較すれば、フェロー諸島の人たちのことをより多く知ることができるだろう。

概要欄の英文をGoogle翻訳したものを、引用させていただく。

スコットランドとアイスランドの中間にあるフェロー諸島は、1000年前にバイキングによって開拓されました。遠くで興味をそそる彼らは、北欧のおとぎ話のようなもののように見えます。人々は芝生のあるログハウスに住んでおり、古代のバイキングの言語を話し、伝統的な衣装を着て北欧のバラードを歌うことに喜びを感じています。しかし、彼らの絵葉書文化の一部は、部外者が積極的に衝撃的であると感じています。毎年夏になると、フェロー人はパイロットクジラの群れを岸に追い込み、フックやナイフでそれらを屠殺し、その後、肉を切り分けて各家族と共有します。それは誕生の権利であり、フェロー文化を祝うものと見なされています。島民は、止まるという国際的な圧力に断固として抵抗しました。

ケイトサンダーソンは22年前にオーストラリアからフェロー諸島に引っ越し、地元の人と結婚しました。彼女は私たちに言う、「あなたは私たちが言うことを知っている、クジラを救う-夕食のために!サンダーソンは、捕鯨と漁業に関する主要な国際交渉者です。 「2世代にわたるメディアの誇大宣伝と捕鯨反対運動は、今日の捕鯨の本質についての人々の見方を本当に歪めました」と彼女は言います。 「今日もクジラを(捕獲)し続けている国々は、クジラを食べるという非常に長い伝統を持つすべての国です。」

引用部分の一部を太字にさせていただいたが、その部分に注目してほしい。
今回扱った報道の動画も、同様にフェロー諸島の捕鯨の本質を歪めて伝えているだろう。
動画の2:14あたりからフェロー諸島側のコメントが述べられているが、トリミングも顔面のアップという配慮の無さやモンタージュを多くして発言をチェリーピッキングしているように思える。
コメントの間に否定的な情報を交えるなど、確実に公平な扱い方ではないだろう。
ここに客観性は恐らく無い。

こうしたメディアは、エスノセントリズムによって地域文化を許容するという多様性を否定し、全体主義的な価値観によって世界を覆おうとしている。
そうした考えが、現在起きている様々な紛争の引き金になっていることに、気づくべきではないだろうか?