時期尚早な話では?

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領海での商業捕鯨再開から一年が経ち、様々な評価が出てきているが、どうも誤解があるというか、正当に評価ができていないというか、時期尚早な話が多い気がしないでもない。
鯨の刺し身を食べながら、そのへんの話を少しまとめてみたいと思う(昨年末に買い込んだ最後の赤肉の刺身。美味しゅうございました)。

マーケットは自由にならない

上記のリンクにある記事をさっと一読して、いくつかのポイントについて意見を書きたいと思う。

鯨肉は調査捕鯨では副産物扱いだが、商業捕鯨では品質も高く、再開初年の昨年は高値を付けた。

 だが、もともとは安価な“国民食”である。高級路線で生き残れるかは疑問だ。今年は新型コロナ禍で外食需要が激減し、価格も下落しているという。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/438687

そもそも調査捕鯨を行っていた時期のことを思い出せば、この意見は現実を見ていないように思える。供給量を考えれば、安定供給は難しく、「安価な国民食」なんてフレーズはまだまだ寝言の域を出るはずがない。

 さらなる悩みが、鯨肉の需要が振るわないことだ。商業捕鯨の長期中断により、1962年度は23万トンあった鯨肉の国内消費量は約3千トンまで激減した。ほとんど口にしたことがない若者らの鯨食離れは顕著だ。

 商業捕鯨が再開しても流通量が少なく、大衆魚と比べても割高なため、食卓からは縁遠い存在のままだ。新型コロナウイルスの感染拡大による外食業界の低迷も打撃となっている。消費需要が伴わなければ捕獲枠拡大も絵に描いた餅に過ぎまい。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/315306

前段の部分は言い古された情報であり「何を今更」という感がある。この話、捕鯨に関する話題にはほぼ必ずといって言及される(主に左派系が多いような)気がするが、全く状況が違い時期と比較して「激減」と評するのは、バランス感覚が偏っているのではないかと感じる。
こう書くと失礼かもしてないが、この手の主張で現状を「絵に描いた餅」というなら、その主張自体が古びた写真に写った風景を眺めて「あの頃はこうだったね、それに比べて今は…」と良くない懐かしがり方をしているように思える。
客観的に見れば、これは「どっちもどっち」にしか思えない。

 一方、商業捕鯨と銘打つ以上、捕鯨業者の側も「鯨食文化の維持」にとどまらず、経営的な自立が急がれる。タイミング良く商品を高く売るといった販売上の工夫や、効率的なコスト管理など、捕鯨業者が抱える課題を指摘する声もある。

 政府は令和2年度当初予算で、捕鯨対策として元年度と同額の約51億円を計上している。商業捕鯨は約31年ぶりで過去の知見が失われている事情などを踏まえた激変緩和の補助金的な性格だが、水産庁幹部は「未来永劫続くというものではない」と強調し、早期の自立が急務だとしている。

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200630/mca2006301821024-n1.htm

たしかにマーケットへの対策は必須になってくるだろう。そのためには大手スーパーなどの硬い門戸をこじ開ける施策が必要になってくる。しかし、その一手が見つかるまで鯨食関連業界が持ちこたえられるのか……?
失念してしまったが、何かの資料で調査捕鯨に移行する際に商業的な戦略を見失ってしまった(供給量が少なくなるためスーパーなどに鯨肉を供給しにくかった)ことがあったという物があった。
そして、現在では環境保護団体などの目もあり、鯨肉の販路拡充はさらに難しくなってきている。
個人的には、本当に頑張っていただきたいと思う。

漁獲枠は勝手に決められない

以上、3つのニュース記事について言及してみたが、どの記事も昨年から予想できたことについて悲観的な意見を述べているが、あまり現実が見えていないように思える。
Sankei Bizは他の2つに比べて現実が見えている気がする。そもそも簡単に需要が増えるようなら、今のような状況には陥っていなかっただろう。今必要なのは消費を増やすために何ができるかを模索することであり、「消費が増えない」「国民食だったはずなのに」と嘆くことではない。
本当に鯨が国民食だとおもうのであれば、政策や政権の批判のために、こういった問題を持ち出すのは、逆効果でしかないように思える。

そして、次の記事のような主張もまた、個人的にはがっかりさせられるものだ。

【直球&曲球】葛城奈海 商業捕鯨の捕獲枠再考をアーカイブ
Facebook経由で知ったものですが、昨今の記事を読んで、まとめ的に書かれたもののように思える。恐らくはあまり詳しくない人なのだろう。

 不当な縛りがなくなり、市場に出回る鯨肉が増え、かつてのように安価でおいしい鯨料理を身近に味わえるようになることが期待されたが、現実はどうか。残念ながら、鯨肉は安価にも身近にもなっていない。理由を知って愕然(がくぜん)とした。

 鯨肉供給量はIWC脱退前の調査捕鯨時と比べて約3分の2にとどまっているのだ。捕獲枠の上限は他ならぬ日本自身が決定したというのだから、あいた口が塞(ふさ)がらない。これでは何のためにIWCを脱退したのか、まったく意味が分からない。

https://www.sankei.com/column/news/200730/clm2007300005-n1.html

……えーっと、あまりにも安易な指摘なのではないだろうか?
漁獲枠が勝手に決められるような状況なら、今のような状況に陥っていないんですけど、そもそもどうして商業捕鯨モラトリアムが行われたのか、ご理解いただけているのだろうかと、不安になってしまうのだ。
どのような趣旨でこの記事が書かれているのかはわからないですが、僕はこの記事を読んで愕然としました。
これでは捕鯨に携わっている人たちが不憫で仕方がない。

時期尚早な評価

いくつか記事を読んで感じたことが一つある。
それは、評価が時期尚早すぎるということだ。
もちろん税金が投入されていることや、実際に食卓に鯨が並ぶことを心待ちにしている人もいるだろうから、早く状況が好転することを望む声はあるだろう。
しかし、ちょっと調べればわかることをせずに、「捕獲量が落ち込んでいる」や「需要が落ち込んでいる」なんて話を書き散らすのは、正直どうなのかと思う。
商業捕鯨モラトリアムを日本が受け入れて、商業捕鯨を中止して何年経っているか理解されているのだろうか?
それだけの時間が経過して、日本から失われつつある食文化が再び日本に根づくのに時間がかかるのは当然であり、また限られた供給量の鯨肉が市場でニーズを再び獲得できるようになるまでには、相当な時間がかかるだろう。

ネガティブな情報に偏りすぎでは?

もちろんいろいろな主張があって然るべきだし、いろいろな見方があってもいいと思う。
ただ、「その話何度目なの?」「それは関係ないのでは?」「そんなに単純な話じゃないだろう?」と読んでいて思ったので、ブログにまとめてみた。

これらの記事を書かれた人たちが、実際にどのように鯨食を捉えていて、鯨を食べているか、どの程度の情報を得ているのかも正直わからないんですが、それでも一つ文句を言わせていただけるのであれば(まあ文句を書くわけですが)、「鯨食や捕鯨についてネガティブな情報に偏り過ぎちゃいないだろうか?」と思う次第だ。
供給量を限られ、市場も狭まったままで、しかも新型コロナ禍で混乱している状況なのだ。良い話題など本当に無い現在、単純に騒いだところで物事解決などしないし、本当に鯨食文化について考えているのであれば、現状をしっかりと理解して、記事に活かしていただきたかったと思う。

今の苦しい状況を乗り切って、いつか美味しい鯨肉が近所のスーパーで気軽に味わえるようになってほしい。そのためには当然現場の人達の努力は大切だ。
しかし、もし本当に鯨食や捕鯨について、大切に考えているのであれば、その気力を削ぐような主張に偏ってしまうのは、正直どうなのかと思う。

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