取材対象に「後ろ足で砂をかける」。

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これから気が向いた時に、先日太地行きの際に読んだ、とある本について、指摘というかツッコミというか、そういうことを書いていこうと思う。
理由は単純で、「資料的な価値は高いとしても、『それはあんまりな書き方じゃないのか』と思わずにいられない部分が多々あった」からで、単純に僕が強い違和感を感じたからに過ぎない。

その本は自分の答えに向かって事実を積み重ねていた。

その本は伴野準一氏によって書かれた、平凡社新書の「イルカ漁は残酷か」という本で、帯には「日本の伝統か 心ない行為か 冷静な議論のために必読のノンフィクフョン」と銘打たれており、中身も一読しただけでは「中立的な視点で書かれた良識のある本」ではないかと思われることだろう。
しかし、内容について若干なりにも知識のある方が読めば、幾らかの違和感を感じ、それが読めば読むほど多くなる。資料的な価値は高いと思うだけに、色々な部分の脚色や欠落(なのか意図的に省いたのか)が、とても残念な内容となっている。

では、どんなところが残念なのかといえば、見出しにも書いた通り「自分の出した結論に向けて事実を都合よく積み重ねていったフシがある」点だ。この本はタイトルにある「イルカ漁は残酷か」という問いに対して「残酷ですよね」という答えをあらかじめ持った人物が、その仮定したストーリーにそって事実を積み重ねて書かれた「ノンフィクション的なもの」だと言わざるを得ず、例えば用いた資料の都合の良い部分だけを引用したり、聞き取りに協力された人たちに対しての表現の仕方が意図的であったり、その時そこで起きたことを無視して評価を下げるようなことをしている。
そういった細かいことについては徐々に書いていく予定だし、第一章で舞台となった富戸にて実際に聞き取りに協力した人物にお会いできる機会も得ることができたので、追い込み漁にとって重要な土地である伊豆の空気を吸ってくるとともに、伴野準一氏が行った聞き取りの様子についても、詳しく聞いてくる予定だ。
太地町立くじらの博物館にも知人がいるので、どのような聞き取りの状況だったかを、聞かせていただこうと思う。

「後ろ足で砂をかける」とは

この本が客観的な視座に基づき、その上で「イルカ漁は残酷なのだ」という分には、それはそれでいいと思うし、その中に事実と異なる点があるのであれば、その部分は違うのではないかと指摘する。それはこういった議論を扱うものにとって当たり前なのではないかと思う。
もっとも、自分自身も「客観的か否か」という部分においては、そうでないことはあるかもしれない。しかし、自分の調べ物に関して時間を割き、手間をかけさせた人たちに対して恣意的な表現で印象を貶めるような書き方をするのはどうなのかと、個人的には思う。
捕鯨問題において、関係者が口を重くする遠因というのは、まさにこういった恣意的な印象操作によるところが幾ばくかあるのではないかと、個人的には思っている。

実は以前からSNSの知人に「読んでおいたほうがいい」と指摘されていた本なのですが、当時は気が進まず手に取ることができなかった。
ところが、何かの縁で現在自分の手元にあり、この度一読して「どうしてもっと早く読んでおかなかったのか」と若干後悔している。何故ならこの本が出版されてからすでに4年が経ち、聞き取りに対応した人たちの記憶も薄れてしまうからだ。
悪し様に呼ばれる機会が多い方々が、ある部分願いを託して聞き取りに応じたと思うが、それがこのような扱いで良いのかと、余所者かつ関係者でもない自分は憤りを感じている。

だからこそ、ちょっと時間をかけて、じっくりとこの本について取り上げていこうと思っている。
興味のある方は、Amazonマーケットプレイスで購入するか、図書館ででも借りて読んでいただければ幸いである。

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