それはエコツーリズムではなくエスノセントリズムである。

エスノセントリズムだけでは何も解決しない。

By kujiratalk, 2013年3月3日

一部の活動家達は、「捕鯨やイルカ追い込み漁に従事しなくても、ホエールウォッチングやドルフィンスイムなどで生活資金を得ることができる。故にそれらは不要だ」という。果たして「エコ・ツーリズム」は、捕鯨やイルカ追い込み漁の代替産業となりえるのだろうか?そして、活動家にはそれらの活動を推し進める意志はあるのだろうか?


それはエコツーリズムではなくエスノセントリズムである。

それはエコツーリズムではなくエスノセントリズムである。

エコツーリズムはエゴツーリズムではない。

以前に、ここで「Tourism for Taiji」というFacebookページについて紹介しましたが、彼らが説明の所にこのようなことを書いています。

Tourism for Taiji is a site to demonstrate interest in eco-tourism at Taiji vs dolphin and whale slaughter as a means to drive the local economy. Find us on Twitter @tourism4taiji.

文章中に「eco-tourism」という言葉がありますが、この意味について、Wikipediaでは、最初に以下のように書かれています。

エコツーリズム(ecotourism)とは、 自然環境の他、文化・歴史等を観光の対象としながら、その持続可能性を考慮するツーリズム(旅行、リクリエーションのあり方)のことである。
wikipedia:エコツーリズムより引用。

これは、「その地域にある特色を活かして」と、言い換えることができると思います。
現在、景気などの動向もあり、日本の国内観光自体があまり活発とも言えない状況では、捕鯨地だけでなく、様々な観光地で集客に注力していることでしょう。
捕鯨地であれば、捕鯨を通じて重ねられてきた歴史や文化を、持続ができるような形に編集することで、それが観光資源として活用出来れば、捕鯨地は捕鯨地として生き続けることができるはずです。
歴史を掘り下げ、自然環境や史跡の情報を編み直し、その土地にあった観光産業を自分たちで作り上げ、それで観光客を得ることこそが、「エコツーリズム」ではないでしょうか?

ところが、動物愛護活動家の中には、「自分たちの考えた、最強の観光資源」が存在したようで、今回も取り上げた「Tourism for Taiji」のなかでは、富戸でドルフィンウォッチングを生業としている石井泉氏を持ち上げているようです。
しかし、ここでも以前に取り上げましたが、石井氏のドルフィンウォッチングは寄付がなければまともに運営ができないような状況で、石井氏は自分のFacebookアカウントで、こんな記事を書いています。

– 前略 –

そしてもうひとつ大切なことがあります。
イルカ達を殺してきた私が転向したウオッチングビジネスの成功のために情熱を傾けて欲しいと言うことです。

私がウオッチング事業に失敗したら彼らは絶対にウオッチングには興味を示さないでしょう。

私のウオッチングが成功するということは、たぶん困難なことだとわかっています。

しかし、ずっと昔から、何の抵抗もせず(噛み付いたりしない)苦しんで死んでいったイルカ達の深い悲しみ、苦しみ、恐怖などなどから比べたら、私の困難などたいしたことではないのでしょう。

なぜならば、私は生きていますし、そして私には世界中の人々が応援してくれているから・・・・・。

– 後略 –

つまりは、「サポートしてもらわないと、私の事業は成功せず、あなた方の理想としている『イルカ漁師がウォッチング事業に転向すること』も達成されないですよ」といっているわけです。

これはもう、エコツーリズムではないでしょう。
何故なら、地域の特色とは関係なく、「自分たちの望む観光の姿を見せてあげている」だけで、サポートがない限り持続性がないわけですから、「地域の特色」も「持続性」にも問題があると言えます。
動物愛護活動家たちが「エゴ」だけを地域に押し付けた「エコツーリズム」では、地域の問題は全く解決しないでしょう。

エスノセントリズムという差別意識

今まで、捕鯨やイルカ追い込み漁について、自分なりに本を読み、議論をし、実際に太地町の風景を歩いたりして来ましたが、わからないことが幾つかあり、その中の一つが「捕鯨問題は人種差別なのだろうか?」という、多くの人から見れば「そんなものは決まっているではないか」ということでした。
多くの日本人が、捕鯨やイルカ追い込み漁での海外からのヘイトスピーチや、その他の差別的な振る舞いは、「日本人だから差別され、軽蔑されているのだろう」と思っていることでしょう。
現に南極海で現在も命の危険を感じながら、調査捕鯨を行なっている方々は、世界中でかなり激しく批難をされているのですが、アメリカのマグロ巻き網漁によって今まで活かされることなく処分されたイルカ資源については、もう批判する人も殆どいません(日本の動物愛護活動家にいたっては、このことを知らない人のほうが多い)。
また、韓国沿岸で起きているといわれる多すぎる混獲の問題にも、触れることはまずありません。
そして、アメリカ海軍のイルカの軍用利用に関する実験や、低周波(LFA)ソナーの使用による悪影響も、恐らく無視されることでしょう。
資源量は心配なコククジラやホッキョククジラを「先住民のために必要だから」と捕獲を許可し、日本の小型沿岸捕鯨で捕獲しているツチクジラを規制の枠に含めようとし、日本沿岸でのミンククジラの捕獲は今での原則では禁止されています。

この状況を見ていれば、「この問題は人種差別によるものに違いない!」と思うでしょう。

しかし、例えば、南極海で調査捕鯨を妨害しているシーシェパードの船に乗り込んだ、親川氏のような存在は、人種差別が問題であるとするなら、あるはずがないでしょう。
また、フェロー諸島で行われている追い込み漁への抗議(太地町よりは少ないが存在するし、ホエールウォーズでも舞台になったことがある)は、日本人が対象ではないので、別にする必要がないはずです。

では、一体どうして彼らは日本人に侮蔑の言葉を投げかけるのでしょうか?
それは、エスノセントリズム(自文化中心主義、もしくは自民族中心主義。ここでは前者の意味で扱う)という特異な考え方によるものではないかと、僕は思うようになりました。
彼らが差別を行なっていることに変わりはないのですが、差別の対象は人種ではなく、「自分たちの文化や価値観と異なるもの」を差別しているのです。

人種を超えた「敵」の存在と、軽視される地域文化

捕鯨やイルカ追い込み漁にまつわる議論や抗議活動は、多くの人は特殊なものだと思っているでしょう。
しかし、これらの議論によく似たものは、インターネットでも、日常でも、時折目にすることはあるかもしれません。
例えば、先日、資生堂がこんなページを公開しました。
海外の署名サイトでは、こんな署名が行われました。
例えば、超有名アーティストのこんなニュースがありました。
東京では、こんなデモや、こんなデモがありました。
調査捕鯨やイルカ追い込み漁に関しても、こんなデモこんなデモがありましたね。

これらの様々な事柄には、一つの共通点があります。
それは、主体となる人達の抱く「物言わぬ動物たちへの愛」です。
これらの活動を起こしている人たちは、動物たちを愛しているがために、その動物たちのためによりよい世界へ変えていこうと、活動を起こしているのです。
しかし、先ほども書きましたが、相手は「物言わぬ動物たち」ですから、本当にその活動が正しいかを判断する方法は、彼らにはありません。
では、何を基準にするかというと、それは、最終的に自分自身の感情に由来するようになっていくようです。
結果として、対象となる生き物の能力を過小評価したり、過大評価することも多々あるのですが、彼らはそのことを直視することはありません。
何故なら、彼らが愛しているのは、彼らの心のなかにいる動物であり、目の前にいる動物ではないのです。
心のなかにいる、物言わぬ、か弱き存在を守るために、彼らは、勇気のある、時として凶暴な戦士へと返信してしまうのです。

彼らの「物言わぬか弱き動物を守る」という価値観以外にも、世の中には様々な価値観や文化が存在します。
鯨食、イルカ食、犬食、闘犬、闘鶏、闘牛、競馬にドッグレース、動物園に水族館、そして数多くの実験や毛皮産業……。
それらを見ると、彼らはたまらなくなるのです。
この感情に、人種などというちっぽけな差など、彼らにはないのです。
「私たちの愛おしいものを、奴らに穢させてはならぬ」と、戦いを挑んでいくのです。
否定され、蹂躙され、罵倒され……。最終的にどうなるかは、この画像をご覧いただければ理解していただけると思います。
ところが、(先ほどの画像の人物のように)彼らに否定された側も人間です。
彼らがどんなに否定していても、そこで生きなくてはなりません。
手前勝手な理屈を並べる連中に、自分たちの生き方を委ねられませんから、当然反発するでしょう。
そこに衝突が起きるのです。

しかも、その衝突が起きる場所と、お互いが住んでいる環境の違いが、その衝突を大きくします。
例えば、太地町のことを知らない人が、「イルカ猟なんてやめて職を探せ!」と乱暴なことを言うとします。
しかし、イルカ猟に従事している人の多くは高齢で、今更転職など簡単にできず、しかも和歌山県東牟婁郡太地町という場所は、非常に小さくて裕福とは言いがたい町ですから、仕事のあても当然ありません。
ホエールウォッチングやドルフィンスイムなどに転職しても、観光に来る人がかなり少ないために、すぐに廃業してしまうでしょう。
石井氏自身もうまくいかない事業を、太地で真似をしても、うまくいかないだけでなく、サポートさえもされないでしょう。

この状況は、同じ人種、同じ国籍でも起きますから、これは人種差別とはいえないのではないでしょうか?
もっとも、そういった活動の界隈にいるのが、同じような人たちだけではなく、本当に人種差別が大好きな人も存在するので、非常にややこしい話なのですが、「捕鯨問題イコール人種差別」というような単純なことではないということが、少しでもご理解いただけるとありがたいです。

エスノセントリズムだけでは何も解決しない

仮に、太地町にエコツーリズムを定着させるためには、一体何が必要なのだろうか?

先日、アニマルライツ活動家3名が、太地町を訪れて、漁協や町議と面会し、そしてくじらの博物館を訪問しました。
そのまとめと、一人のレポート、そしてブログの記事があるのですが、それらを読んで僕が感じたのは「この人たちに任せておいても、全く何も変わらないだろう」ということでした。
何故なら、彼らの視線はイルカとクジラにしか注がれておらず、その周辺に点在する文化や豊富な自然、そして人の暖かさについても触れられていないからです。
それも当然といえば当然で、これは彼らの中の動物愛護至上主義とも言える価値観が、「太地町の『問題』を解決しよう!」とさせているだけで、それ以外の本当の問題が見えていないのですから、仕方がないとも言えます。

彼らの言う「問題」は、実は太地町に住んでいる人たちの多くにとっては、全く問題ではありませんから、この「問題」というものは、彼らの価値観の押し付け、自分たちの持つ文化によって太地町の文化を蹂躙しているだけにすぎないのです。
それでは、太地町の本当の問題である、観光客を増やす方法であったり、町の高齢化や過疎化の問題などは、全く解決されることはないでしょう。

では、どうすればそれらの問題が解決できるのでしょうか?
それは、実際にその土地の空気を吸い、風景を眺め、飯を食い、文化を知り、人と話さなくてはいけないのではないかと思います。

もし、その参考になるのであれば、手前味噌ではありますが、太地町の写真を淡々と貼っているFacebookページを運営していますので、是非一度御覧ください。

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