太地町について少しだけ思ったことを書いてみる。

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上の動画は、和歌山県の太地町についてのドキュメンタリーです。
といっても、残酷なシーンで有名になったあの映画ではありません。
人や文化、そして穏やかな雰囲気を描いた、ある意味まっとうなドキュメンタリーだといえるでしょう。
お暇な方は、まずはこの動画をご覧ください。

視点によって表現は変わる

日本の捕鯨やイルカ漁は、海外からいわれなき非難を浴び続けています。
例えば、ザ・コーブのような最初から結論ありきで作られ、「ドキュメンタリー」を銘打たれた映画などが、そのいい例でしょう。
素材をつなぎあわせ、事実をねじ曲げられ、自分たちの意見に都合のいいような、そんな映画を作るのは、特定の目的が最初から存在するからなのです。
ところが、そうでないものも、中には存在するのです。

当たり前のことなのですが、物の見方が変われば表現も変わってくるものです。
仮にそれが、全く同じ場所であったとしても、撮影する対象や考え方によって、残酷にもなり心豊かにもなるものです。
この映画は、ザ・コーブで話題になってしまった太地町を別の監督が自費で撮影したという、いわば「アンチ・ザ・コーブ」とも言える作品です。
スポットが当たっているのは、凄惨なシーン(既にあれは漁と言える表現ではないので、こういう表現をさせて頂きますが)ではなく、捕鯨に携わる人や町の人、そして祭りや風景などの醸しだす「雰囲気」で、エンターティーメント性はさすがにありませんが、その場所が何となく感じられる作品に仕上がっています。

詳細は、RedFoxの記事をご覧頂くとして、今回はこの映画や、あの「ザ・コーブ」の舞台になった太地町の話をちょっとだけ書いてみようかと思います。

太地町とは、一体どんな場所なのだろう?


大きな地図で見る

多分、このサイトをご覧の方の多くは、既にご存知かもしれませんが、和歌山県の熊野灘に面した隅の方にある小さな町が、太地町で、この地では江戸時代の初めの頃から、鯨を捕って暮らしていた人達が住んでいました。
Googleマップをご覧いただくとわかるかもしれませんが、太地町はとても狭く、農耕に向かない場所でした。
代わりというわけではありませんが、この近辺の海は鯨の回遊ルートになっていて、その影響もあって近くの浦々でも、捕鯨が営まれていたのです


より大きな地図で 日本沿岸捕鯨マップ を表示

上の地図のマークがある場所は、捕鯨に関わりのある場所です。
新宮から潮岬までの紀伊半島の東岸には、幾つかの山見(鯨を探すために見張り台をおいた場所)や、鯨とりたちが住んだ浦があります。
更に北上すれば、尾鷲や鳥羽のあたりにも、そういった場所はたくさんありました。
つまり紀伊半島の東側から伊勢湾、そして古式捕鯨の発祥地の一つでもある三河湾までの一体は、とても豊かな漁場だったのです。

ジャパングラウンドの乱獲と大背身流れ

今回は説明を省きますが、この一帯は鯨によってさかえ、常に鯨と共にありました。
場所によっては捕鯨を営まない浦(確か勝浦がカツオ漁を主にしていたと思います。うろ覚えですが)もありましたが、先ほどの地図でもわかるように、太地浦、三輪崎、袋浦、古座浦といった場所で、春と秋の回遊に合わせて捕鯨を行なっていたのです。
その期間は非常に長く、紀州藩も捕鯨によって潤っていたことでしょう。
ところが、江戸時代が終わり、明治時代になると鯨がとれなくなってきました。
そのひとつの原因は、欧米列強の捕鯨が日本の鯨類資源を乱獲したことによって、回遊数が激減したことにあります。
僕自身は未読ですが、メルヴィルの「白鯨」の中にも日本近海の鯨類資源の豊富さは言及されており、「白鯨」の出版から二年後にペリーが黒船で浦賀に現れ、やがて日本は開国への道を歩むことになるのですが、ペリーの目的も捕鯨に関することでした。
当時の欧米列強は、日本近海、主に三陸沖を中心にした海域をジャパングランドと呼び、その資源に注目していました。
日本の開国と同時に日本近海での捕鯨船の操業は激増し、豊富だったマッコウクジラやセミクジラを大量に捕獲したのです。
結果的に、日本近海の鯨類資源は激減します。そして悲劇は起こりました。それが「大背身流れ」です。
大背身流れについての詳しい話も、今回はちょっと見送らせて頂きますが、このおそらく日本で最大級の海難事故によって、およそ100名近くの方が命を落とし、中には神津島まで流されたにも関わらず、奇跡的に生き延びた方もいました。

ザ・コーブは第二の大背身流れかもしれない

そして今、この穏やかな漁村は、再び海外からの危機に曝されています。
まだ死傷者こそ出ていませんが、イルカ漁に携わる方々が、いわれのない誹謗中傷を受け、罵倒され、漁の様子を脚色されて世界中にその姿を曝されています。
この状態は、第二の大背身流れなのではないかと、僕は思っています。
先ほどの「太地捕鯨ドキュメンタリー『太陽の町〜黒潮と鯨と』」をご覧いただけるとわかると思いますが、太地町自体は本当に風光明媚なところで、僕も一度は行ってみたいと思っている場所なのですが、イルカ漁追い込み漁を行なっているという理由だけで、よく理解出来ない価値観を持った人間が何人もやってきて、自分勝手な主張を押し付けるために、現在は和歌山県警の方々が大勢で監視をされているために、太地町は物々しい雰囲気に包まれていることでしょう。
捕鯨やイルカ漁について、反発を抱く人がいることも、当然理解しているのですが、話し合うことが目的ではなく、自分たちの活動をPRするために地元の人達を中傷するような人間がいることは、非常に悲しい事であると同時に腹立たしい気持ちになります。

太地町でイルカ漁に携わる皆さんには、反捕鯨団体の妨害に屈せずに、頑張って漁をしてほしいと僕は思います。

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