それでも動物はごはんである

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2019年6月1に渋谷にて動物愛護団体「アニマルライツセンター」が、「動物はごはんじゃないデモ行進」というなのデモを行うようだ。すでに5ちゃんねるTwitterでは「ごはんじゃなくておかずだよね」というような見解や、やや大喜利めいた書き込みが見かけられるが、ここで、あらためて肉を食べることの必要性について、少し書いてみたいと思う。

人類が高い知能を有した理由

まず、我々人間が、どのようにして高い知能を有し、今日まで発展してきたかについて考えてみると、肉食は人間の脳の発達と切り離すことができないことがわかってくる。脳が大きくなることで、発達し、知恵をつけていったというのは想像に難くない。
以下、大和製薬のサイト中に、興味深い記事を見つけたので引用したい。

人類は肉食で進化した

人間の脳は肉食によって大きくなった

人類はオランウータンやゴリラやチンパンジーと共通の祖先から進化しました。動物進化の系統樹において、約1300万年前にオランウータン、約650万年前にゴリラ、約490万年前にチンパンジーが人類から分岐したと考えられています。

人類の特徴は他の動物と比べて知能が高いことですが、知能の発達には脳が大きくなることが必須です。チンパンジーの脳容積は400cc程度で、現代人の成人男性の脳容積の平均は約1350ccです。チンパンジーと同程度の脳容積しかなかった初期人類から、高度の知能をもった現生人類に進化する過程で脳容積は3倍以上に増えました。チンパンジーの脳容積は500万年前と同じで、人類の脳容積が3倍も増えた理由は、人類が動物性食糧を多く摂取するようになったからです。

脳組織の50から60%は脂質から構成されていますが、このうち約3分の1はアラキドン酸やドコサヘキサエン酸のような多価不飽和脂肪酸です。アラキドン酸は必須脂肪酸で人間は体内で合成できません。ドコサヘキサン酸は同じω3系不飽和脂肪酸のα-リノレン酸から体内で変換されますがその効率は極めて悪いので、最近ではドコサヘキサエン酸も必須脂肪酸に分類されています。 つまり、脳の成長に必要なアラキドン酸とドコサヘキサエン酸は食事から摂取しなければなりませんが、この2つの脂肪酸は植物性食物には少ししか含まれていません。アラキドン酸は肉、ドコサヘキサエン酸は魚の脂に多く含まれています。

オランウータンやゴリラやチンパンジーは今でも熱帯の密林に生息し、いずれも植物性食物の多い食事をしています。基本的には雑食で、昆虫や鳥類の卵や小型哺乳類など動物性食物も食べますが、主体は果実や植物の葉や芽や根など糖質の多い食事です。氷河期の氷期の間も、アフリカやアジアの暖かい地域にわずかに残っていた森林で生き延びたと思われます。しかし、森に残ったために人類のような進化をとげられなかったと考えられています。

人類も森林に住んでいたころは植物性の食糧、つまり糖質の多い食事でした。人類が肉食になったのは、約250万年前から氷河期が始まったからです。

http://www.daiwa-pharm.com/info/fukuda/7096/

アニマルライツ系の活動家の中には、「人間はもともと肉食に適していない肉体である」という主張をする者もいるが、実際は氷河期を経る過程で肉食を中心とした時期があったことは、氷河期という環境から考えれば想像に難くはないだろう。つまり彼らのいうことには根拠がないわけだ。
なお、上記引用部にも記されているが、オランウータンやチンパンジーやゴリラなどは主に植物を食べて暮らしているが、肉食を行うことがあり、チンパンジーが獲物を捕らえて食する光景は、なかなか凄惨な光景のようだ。今回アイキャッチにした写真の書籍、「ぼくらはそれでも肉を食う」のp.223に詳細が書かれているので、ぜひお読みいただきたい。

雑食が正しい理由

我々人類は、遥か昔から肉食を行ってきた。おそらくその光景は、現在のチンパンジーなどと同様に凄惨な光景であっただろう。しかし、もし仮に肉食の時期がなく、果実や木の葉などを食べ続けていれば、現在のような繁栄は訪れなかっただろう。それも想像に難くない。
その繁栄の上で、あえて肉食を否定する人たちというのは、人類が経てきた経緯にも反しているし、そしてその人類が築いた繁栄にも反しているだろう。
多くの雑食者が作り上げた文明の利器を利用しながら、その利器を作った人たちへの侮辱へもなるだろう。

閑話休題。ちょっとここで、ある人物の話をしたい。
その人物は、晩年菜食主義と粗食を貫き、結果として亡くなられたと考えられる偉人の話だ。
彼の名は「宮沢賢治」。菜食主義者たちが持ち上げる人物だ。
彼の悪口を書きたいわけではないが、彼の生涯で起きたことは、我々のケーススタディーとなるからだ。
彼は「ビジテリアン大祭」という作品を残し、人生で二度ほど長期間の菜食を続けたようだ。一度目は法華経信仰に入った後、盛高研究生になった1918年からの5年間。そして次はおそらく羅須地人協会時代のことだろう。

一度目の菜食期間は、かなり柔軟な菜食期間だったようだ。知人に送った手紙の中に刺身や茶碗蒸しを食べたことを記しているし、「豚の脂や塩鱈の干物を食べたせいで脚気になった」というような手紙も記している。誤解を生みそうなので解説するが、二つ目の手紙について、当時の主な食生活は蕎麦がきに麦飯、そして冬瓜の汁などが中心だったようで、そもそも偏食傾向が強かったわけだ。
そして、二度目の菜食期間は、著しい粗食の影響もあり命を縮めることとなった。
その様子について、Wikipediaから引用しよう。

ご飯はまとめて炊いてザルに移して井戸の中に吊り下げて置き、冬は凍ったまま食べた。おかずは油揚げや漬物、トマトなどだった。賢治の体を心配した母のイチが小豆を入れたひっつみを届けたことがあるが、受け取らなかった。急性肺炎で倒れ病臥生活になっても菜食はやめず、鶏卵も牛乳も拒否した。イチが鯉の生き肝が肺炎に効くと聞いて、オブラートに包み薬と偽って飲ませたことがあった。弟の清六から中身を聞き出した賢治は涙を流し、「生き物の命をとるくらいならおれは死んだほうがいい」「これからは決してそんなことをしてくれるな」と真っ青な顔で言い、最期まで菜食主義をつらぬいた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB

上記のような食生活で、健康を維持できる人は、いったいどれくらいいるのだろう。少なくとも、現代人にはなかなか難しいだろう。
じゃあ、現在菜食主義を標榜している人たちならどうだろうか?
彼らなら、体調が悪ければサプリメントを飲み、医者にかかり、体調をなんとかしようとするだろう。しかし、サプリメントや医薬品もまた動物由来のものも多い。故に、宮沢賢治のような志がなければ、この生活はできないだろう。だから宮沢賢治という人は尊敬されるのだろうと思う。
もっとも、農学校時代の宮沢賢治は、かなり自由な食生活を楽しんでいたようで、馴染みの蕎麦屋で天ぷらそばやかしわ南蛮、鰻屋で鰻丼を食べたそうだ。もしそんな生活を少しでも続けていれば、早世することもなかっただろう。

宮沢賢治という人物をサンプルに、菜食偏重の食生活が危険であることについて書いてみたが、実際に菜食主義者となって健康を害する人は多い。先ほど紹介した「ぼくらはそれでも肉を食う」のp.258には元菜食主義者は菜食主義者の三倍いるという調査結果が記されている。
理由は明白で「健康状態の悪化」に他ならない。同著の中でも「何があろうと、貧血になるくらいなら死んだ牛を食べるほうがマシ」。という強烈なコメントもあり、菜食が体調に合わなければ、それだけの不調を肉体に強いることになる。
それでは、まともに社会生活を営めなくなることだろう。

だからこそ、やはり我々は動物を食べなければならないのだろう。
我々にとって、動物はご飯なのだ。生活の糧であり、時として希望なのだ。
確かに心が痛むかもしれないが、それは我々の背負った宿命なのだ。
そう理解する他ないだろう。