商業捕鯨再開について思うこと

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昨年(2018)末、IWCを脱退して日本沿岸において商業捕鯨を再開するというニュースが流れ、今年になって様々な場所でその話題に関しての議論を目にしてきた。ある人(僕を含めて)は再開を喜び、またある人は(僕を含めて)は再開について疑問、もしくは失望感を抱きながらも流れを見守る人もいた。

どちらの側にも僕の想いがあるのは、IWCという有名無実化した組織を脱することで沿岸に限られるとはいえ自国の裁量で(もちろん資源量を守りながら)捕鯨をすることができるというのは、捕鯨を支持するものとしてはとても嬉しいものであった。小型沿岸捕鯨といわれる形態の捕鯨業を営む人たちにとっては千載一遇のチャンスだと感じたのではないかと思わずにはいられない。
逆に残念だと思うのは、IWCを抜けることで、いままでこだわり続け、苦汁を嘗めるようなICJでの判決にも堪えつつ、新たな計画まで立てて継続してきた調査捕鯨が、継続できなくなってしまった事だ。僕個人は南氷洋で捕鯨をし続けることは日本の責任なのではないかと思い続けているので、それがままならないというのはとても残念でならない。

さて、商業捕鯨の再開について、先日こんな記事を目にした。

商業捕鯨を再開した際、国内の捕鯨関係者が反対派の国や環境保護団体から圧力・妨害行為を受ける恐れがあります。捕鯨従事者や国民が不安にならないようにどんな対策を講じるのかがはっきり届いていません。

日本のIWC脱退後、噂に惑わされないよう私は、捕鯨を管轄する水産庁の長官に取材を行ないました。

南氷洋での調査捕鯨を中止する代わりに日本近海での商業捕鯨の再開を認める案は以前にもあった、と一般的に伝えられています。しかしそれは事実でない、と初めて知りました。

こうした情報の格差が、「以前のIWCの案を呑んでいればいまごろ近海では自由に捕獲ができたはずなのに、ずるずると対応を長引かせた挙げ句、南氷洋には行けなくなっただけで、今回の脱退にはメリットなし」と多くのメディアで批判される原因になっている。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190318-00010000-voice-pol&p=2

何の話かといえば、恐らくそれは「デソト提案」といわれる2009年にIWCの小作業部会にて提示された案のことだと思われる。これは端的に言うと、「調査捕鯨を5年間で2割ずつ削減していくことで、最終的に調査捕鯨を中断すること」と、「その代わりに5年間、沿岸捕鯨の暫定枠を定め、小型捕鯨船5隻を超えない範囲で日帰り操業、地域消費に限り操業を許可する」という二つの内容から成り立っている。
多くの場合は、5年間の暫定枠が終了した後も沿岸捕鯨は継続可能であると考える人たちによって、「この提案をなぜ飲まなかったのか?」「そんなに調査捕鯨が重要なのか?」という批判のために、この提案は用いられていたのではないかと思われる。

では何故、デソト提案は受け入れられなかったのか?
それは、当時の状況はそんなに楽観的なものではなかったからだ、としか言いようがないのだが、この提案が、調査捕鯨を中止する代わりに沿岸捕鯨の5年後の継続を保証してくれるものではないからだ。
その苦悩が、以下のPDFからも読み取ることができる。

これを受けて、小作業グループは一連の会合を開催(2008 年9 月、11 月、12 月、2009年1 月)し、デ・ソト議長は、2009 年2 月2 日、同グループの議論を受けた中間報告書を提出し、これがIWC 事務局により公表された。同報告書では、5 年間の暫定期間であることを前提に、各国の関心事項(沿岸小型捕鯨、調査捕鯨等)について、議長見解としてとしてのパッケージ案を提示している。本報告書と提案は、各国が合意に至ったものではないが、我が国がこれまでに主張してきた沿岸小型捕鯨の実施が認められている一方で、調査捕鯨についてはフェーズアウトを含む厳しい案も含まれており、議論の先行きは必ずしも楽観視できるものではなかったまた、反捕鯨勢力側においても、いかなる形であれ捕鯨を認める要素を含むパッケージは受け入れるべきではない、このパッケージを利用してすべての捕鯨を禁止に追い込むべきとの主張があり、交渉は予断を許さなかった。

※一部テキストを編集

http://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/sc/Detail.e?id=195820180803165047

上記引用部分のように、当時の情勢としては楽観的に「沿岸捕鯨を継続して行える」という確約ではなく、関係者のほとんどが「5年後には調査捕鯨も沿岸捕鯨も失ってしまうのではないだろうか?」という不安しかなかったんですね。
よく今回のIWC脱退を、国連脱退の松岡洋右に重ねる人がいますが、デソト提案は捕鯨関係者にとっては悪名高きPM法(パックウッド・マグナソン法)にも似て見えたことでしょう。このPM法によって恫喝された日本は南氷洋の商業捕鯨から撤退させられ、PM法は発動しなかったものの、最終的にアメリカ領海内での操業からも日本は締め出されてしまった。
その教訓があったからこそ、耳障りのいいデソト提案には乗れなかったのかもしれません。

かくして日本は、再び商業捕鯨を7月から始めることになりました。
改めて調べてみると、母船式捕鯨でイワシクジラやニタリクジラを捕獲するそうで、どの程度の規模になるのか僕には想像できないのですが、その時期に一度下関に行ってみたいと思います。

そんなわけで、二年近く放置していたこのブログを再開します。
更新できなかった二年間を、早めに埋めることができればと、個人的には思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。