半年ぶりに太地町にいってきた

太地駅に描かれている絵

WAZAやJAZAに関連した騒動以降、どうしても気になって、半年ぶりに太地町にいってきました。
南紀の日差しは相変わらず強く、少し歩いただけなのに、しっかり日焼けしてしまいました。
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WAZAの終わりの始まり

2015年5月20日、JAZAが太地町のイルカ追い込み漁で捕獲されたイルカの購入をやめることで、WAZAに加盟し続けるという選択をした。
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「社会を変える」という活動とは?

この投稿は、あまり捕鯨問題とは関係ないものです。
捕鯨問題について考える際に、先鋭的な動物愛護団体の活動に注目せざるを得ないのが現状で、その活動について評価をするためには、他の事例について少し知る必要があると感じました。
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太地町が「反捕鯨団体対策協」を設立

今月の更新について考えていたところに、いいニュースが入ってきたので、取り上げておこうと思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150303-00000073-san-l30

反捕鯨団体対策協を設立 和歌山・太地町長「漁や事業者を守る」

イルカやクジラの追い込み漁が盛んな太地町で、反捕鯨団体の対策について話し合う常設の協議会が発足し、町公民館で2日、設立総会が開かれた。町や県警、海上保安庁、町漁協など約20機関が出席し、活動方針などを協議した。

 同町ではこれまで、反捕鯨団体に対処するため、追い込み漁解禁前の毎年8月に、町や県警などによる「環境保護団体等対策合同会議」を臨時的に開催。しかし、反捕鯨団体の過激な活動にしっかり対応するため、常設の「鯨類捕獲及び鯨類産業に係る太地町対策協議会」を設けた。今後、各機関の調整や自主防犯対策を進めていくという。

今まで、コーヴガーディアンズをはじめとする様々な活動家に対して無力であった太地町でしたが、やっと対策を講じる姿勢が明確になってきました。
まだ具体的な施策については明確にされてはいませんが、今後の動向に注目するとともに、これ以上被害が拡散しないことを期待したいです。

拡散する被害についての雑感

太地町へ侵入してくる活動家の行動は、活動を始めた当初からすれば、確かに直接的な行動ではなくなったこともあり、一見穏やかな「監視活動」に見えるかもしれない。
しかし、彼らのしていることの多くは監視を超えたハラスメントであるとともに、イルカを搬送するトラックへの追跡行為は速度超過などもあり、危険な行為を伴うものだということは疑いようのない事実だ。

例えば、漁業者以外への撮影に関しては、漁業の監視という目的を逸脱しており、さらには加工場の内部や軽トラックの積載物の盗撮に至っては、もうただの嫌がらせ行為でしかないことは明白なのだが、それを目の前で見ている警察官がなぜか制止しないという、異常な事態が起きていた。

また、プライバシーの観点から活動家の顔写真の撮影を控えるようにという注意を以前にされたことがあるが、逆に活動家サイドは漁業者や博物館のスタッフなどの顔がわかるような写真を日々撮影しているという事についても、納得のいく説明もされることはなく、この二重基準によって太地町の人たちは苦しめられていたことは、忘れてはいけないだろう。

さらには、撮影した画像をインターネットで晒し、ヘイトを煽る文言を書き加え、フォロワーに憎悪を抱かせるように仕向けるという仕組みをうまく活用することで、太地町という町への誹謗中傷を続けた事についても、監視ができる立場にありながらそれを怠っていた(ようにしか見えなかった)のは、警察の怠慢ではないかと思わずにはいられない。

願わくば、平穏な町に……。

僕も簡易交番を訪問して、現場の方々に話を伺ったことがあり、当初は「現場には現場のジレンマがあるのだろう」と思っていたが、時間が経つにつれ「それにしては対応がおかしくはないか?」と思うようになり、和歌山県警にも電話してみたが、納得のいくような話は聞けなかったような気がする。
あまりこのようなことは書きたくないが、太地町で起きていたことの原因の一部は、現場にいながら毅然とした対応をしてこなかった警察にあるのではないかと、僕には思えて仕方がない。
他の国々では警察や沿岸警備隊の毅然とした対応があって、問題解決をすることができた。日本もそのことを見習うべきだと個人的には思う。
恐らく今回設立された協議会には、法的な力はないだろうが、これを機に警察もきちんと連携して、来季の活動家の行動を速やかに制限して、太地町に平穏をもたらして欲しい。

そして、それをモデルケースとして、おそらくは起きるであろう別のエコテロリズムに対しても迅速に対応していただきたいものだ。

動物愛護屋はホロコーストを利用する

海外の活動家サイド(もしくはそれに類する人達)は、イルカや鯨を人にたとえ、漁業である追い込み漁をホロコーストだといい、南京大虐殺に紐づける。
しかし、彼らの生活やそれを支える技術が、どれだけの搾取から築き上げられてきたかについては、何も言及しようとしない。
なぜなら、それらの発言は差別主義が根底にあり、善なる自分たちには適応されないからだ。

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僕は反・反捕鯨と呼ばれたくはない

新年、あけましておめでとうございます。
更新頻度を上げるためにブログ的な作りにしたにもかかわらず、更新頻度がさっぱり上がらない当サイトですが、捕鯨問題を専門に扱っている「捕鯨ライブラリー」からリンクをされていたことを昨日知り、今年は今まで通りではいけないなと思い、月に一度は更新をしたいということを、今年の目標にしていこうと思います。

さて、この記事が今年最初の更新になるわけなのですが、この記事は捕鯨問題について語るというよりは、ごく個人的なお願いでしかありません。
というのも、個人的にそう呼ばれるには、僕は当てはまらないという自負があるし、そう呼ばれている人たちからしても、「こいつは自分たちとは違うな」と感じるだろうなと思うからです(この部分は僕の勝手な想像ですが)。

僕は捕鯨推進派であり、反・反捕鯨派ではない

もうTwitterなどでは何度も主張していることなのですが、僕は商業捕鯨の再開を望んでいます。
反捕鯨派の主張が気に入らないから、その主張に反対しているわけではありません。
商業捕鯨の再開を心底望んでいるから、反捕鯨派の主張の中にある矛盾や違和感などについて、自分なりに調べてまとめているに過ぎません。
また、調査捕鯨に関しても、それを続けることは日本の南氷洋における責任のとり方として正しいと考えていますから、それも是非継続していただきたいと、心底思っています。

だから、反・反捕鯨などというレッテルを貼られるのは正直に言うと気持ち悪いんです。

また、「捕鯨に賛成している奴は基本的に反・反捕鯨派だっ!」という、反捕鯨派の語る文脈が正しいというのも正直納得出来ないんです。
何故なら、僕や鯨食を好む人達の中には商業捕鯨の再開を待ち望む人は、相当数いるはずなのです。
北欧からの輸入ではなく、日本が南氷洋で鯨を捕って帰ってくることを望んでいる人たちが必ずいるんです。
無論、中には国粋主義的に反捕鯨派に対して反抗している人たちもいるでしょう。
中には「アニマルライツの主張がムカつくから捕鯨賛成!」という人達もいるでしょう。
しかし、僕を含めたそういった「捕鯨の再開を純粋に望む人たち」の想いを、都合よく編集して、さも自分たちが主流であるというような物言いを、僕やそれらの人たちに対して適用するのは、是非ともやめていただきたいです。

アイキャッチに使っているのは、今年の正月に食べた、鯨ベーコンとイワシクジラの頬肉とミンククジラの赤身の刺身です。
僕は鯨をもっと食べたいんです。
だから、捕鯨に賛成しています。
反捕鯨に反対なのではなく、捕鯨に賛成しているから、根本から立ち位置が違うのです。
是非とも、ご理解を頂きたいものです。

2014年8月15日

このテキストは、太地町で書いています。
しかも、夜明け前に。

日の出を見ようと早起きをして、軽く朝食でもとコンビニに向かっている途中で雨が降り出してきたので、そのまま宿に戻って、サンドイッチを噛じりながら書いています。

今回で10回目の太地町行きとなるわけですが、その記念すべき時に、太地町の夏の風景が見られたことは、とても大切なことだと感じました。
というのも、この町はくだらない映画で名前が知られてしまったばっかりに、その美しい風景を知らない人たちの間でだけ有名になってしまい、本来一番豊かな自然を満喫できるであろう夏の風景を、太地町を応援していると口では言っている自分も知らなかったからで、今回、夏の景色を目にすることで、一年を通して太地町の自然を見ることができたのではないかと考えると、この夏の持っている意味がとても重要なのだと気付かされたからです。

僕が太地町を通じて知り合った人は、ほぼ口を揃えて「夏の景色を見に来てほしい」といいます。
それは、地元の人でさえ一番いい時期だと感じているからなのでしょう。

しかし、残念なことに、あと15日もすれば、憂鬱な約半年間が始まります。
コーヴガーディアンズを始めとするアニマルライツ活動家たちが、続々と日本にやってきます。
そして、自分たちの妄想に基づいて、くだらない妄言を垂れ流すのです。
連中によれば、この町は、イルカを生体販売することで巨万の富を得ている上に、伝統でも文化でもない漁業でイルカを無駄に殺しているのだそうですが、約三年ほどこの件に関わってきて感じたのは、彼らの言うことには何ら根拠はなく、太地町の追い込み漁は、南紀の自然がもたらした恵みを頂いてきた漁民たちによって見出されたもので、様々な変遷によって形を変えつつも、その形跡を残して今なお存在するものです。

また、僕が何度も繰り返し言っていることですが、イルカの生体販売で巨万の富を得ている人など、この町には存在しません。
ほぼ町の全域を歩きましたが、極端に裕福な人というのは見当たらず、むしろ外に出ていってしまった人の住んでいた家が、空き家となって点在していることのほうが目につきました。
中でも、愛宕山神社に向かう途中で通った道は、本当に人気を感じることができず、ここにも過疎化の問題が存在していることに気が付かされました。
もし仮にイルカで得たお金で町が活気づいているのであれば、おそらくはここにも人がいたことでしょう。
しかし、実際は寂れていく一方の寒村(こう書くと地元の人に怒られてしまうのですが、僕の率直な感想としては、この言葉以上にふさわしい言葉が出てきませんでした)でしかないのです。
確かに過去には南洋と北洋に多くの捕鯨者を送り出し、また海外に多くの移住者を送り出し、彼らがもたらした富によって、富み栄えた時期はあったのかもしれません。
しかし、それは過ぎ去った過去の話であり、今とは全く事情が異なる時期の話なのです。

他にも、「太地町は同和との密接な関係がある」だの「右翼団体と関係がある」だの、ありもしないことを主張する保守系団体の方もいますが、こうした人たちもまた、実際の太地町の有り様ではなく、別の太地町のイメージを見ているようです。
自分たちの活動のためだけに、太地町を利用しないでいただきたいと、僕は思います。

最後になりましたが、こうしたくだらない一連の出来事から、太地町やその周辺の地域が開放され、別の意味で(と言うか本来の産業において)有名になって、もっと地域が活性化してほしいと思わずにはいられません。
今後も、僕はこの町を応援していきたいと思います。

追い込み漁の起源は一体どこにあるのか?

先日、太地町役場から太地町のPR用に作成したらしいDVDを取り寄せて鑑賞していた時、ある動作が現在の追い込み漁に通ずるだろうとのではないかと、改めて思った。
以前からそうだろうと感じていて、いくつかの確認をしたり、資料をあたっていく中で、そうではないかと思ってはいたが、その思いは更に強くなった。

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オフェルドマンのウソが紡ぐザ・コーブの虚構

リック・オバリーこと、リチャード・バリ・オフェルドマンは、先日のサラ・ルーカスが太地町の「町立くじらの博物館」を相手取った訴訟でも、「太地町立くじらの博物館には『イルカは海のゴキブリ』という表示がある」というデタラメな主張をカメラの前でしていたが、この人物の様々な主張が、実は虚構なのではないかと思われる痕跡が明らかになってきた。

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ICJのプレスリリースを読んで考えた。

ICJによって日本の調査捕鯨の成果が、科学と呼ぶにはふさわしくないという、残念な判断が下されてしまって、ちょっと時間がたったが、にもかかわらず、ICJがどんなことをプレスリリースで書いているかを全く知らずに、多くの人がこの話題について議論している。

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イルカ保護活動とレイシズム

よく「反捕鯨活動はレイシズムに基づいたものだ」という言説を目にしたり耳にしたりするが、個人的にはそれだけではないだろうと僕は考えていた。
しかし、実のところはレイシズムによるところもかなり大きいのではないかと、最近思うようになってきた。
その一つとして、本日目にしたものについて、少し書きたい。

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水族館は牢獄か? 

SNSなどでよく聞かれる「水族館のイルカは短命」という言説は、ほんとうに正しいのか?
水族館はイルカにとって牢獄なのだろうか?
この点について、少し書いてみたい。

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調査捕鯨は調査である。

「調査捕鯨」は、「捕鯨」の面のみがクローズアップされていて、その前にある「調査」の部分への評価がされていないように思える。
ところが、そのような指摘をする人の多くが、調査捕鯨の「調査」が一体何かということを知ろうとはしない。

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エスノセントリズムだけでは何も解決しない。

一部の活動家達は、「捕鯨やイルカ追い込み漁に従事しなくても、ホエールウォッチングやドルフィンスイムなどで生活資金を得ることができる。故にそれらは不要だ」という。果たして「エコ・ツーリズム」は、捕鯨やイルカ追い込み漁の代替産業となりえるのだろうか?そして、活動家にはそれらの活動を推し進める意志はあるのだろうか?

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