Wikipediaはあてにならない

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Wikipedia(ウィキペディア)はちょっとした調べ物には本当にありがたいサイトだが、中にはとんでもない記事が含まれている。
今回はそんな話です。

目を疑う「大背美流れ創作説」

以前、Wikipediaの太地町のノートで、こんな文章を見つけた。

大背美流れ・創作説

保護中なのでここに。本文に反映するかは未定。
セミクジラ#背美流れにも同事件についての記述がある。こちらでは異論として創作の可能性を指摘している。著作者の「熊野太地浦捕鯨史編纂委員会」は捕鯨に関する一連の著作を発表しているので、それなりの信憑性があると思ってよいだろう。

※見出しなどは管理人が適宜設定しました。
太地町について若干でも調べ物をしたことがあるなら、この記述について疑問を持つと思います。
僕も、そうでした。
なぜなら、未だに町のホームページにも、公的な資料にも、大背美流れに関する記述はあり、それ自体を創作だったと裏付ける形跡はなかったからです。
それで、気になったので、セミクジラのページを見てみると……、とんでもない話になっています。

背美流れ

1878年暮れ、太地(和歌山県)で鯨を捕って生計を立てていた漁師たちが、その時に紀州を襲った猛烈な嵐により、100名以上が遭難し死亡した記録が残っている。背景は、西洋列強がクジラを捕りすぎたために沿岸の漁業しかできない太地ではクジラが取れなくなり漁師が困窮し、たまたま発見したセミクジラを荒れた海の中でさえ、捕りに行ったためである。
しかし近年、下記の通り沿岸捕鯨で個体群の著しい減少と過剰捕獲による採算が取れなくなった可能性が指摘されていて、背美流れ自体が創作であった意見も出されている。創作の意図として、組織間の確執と事業の無計画性が鯨組の経営難を招いた事を隠蔽する意図があったのではとされている。

※前引用部分と同様に、見出しなどは管理人が適宜設定。及び注釈へのリンクは可読性を考慮して削除。
太字の部分なのですが、こんな話は今まで読んだことも、聞いたこともありませんでした。
ちなみに、注釈にはこんなことが書かれています。

^ 熊野太地浦捕鯨史編纂委員会 ,1990,「鯨に挑む町―熊野の太地」

僕は、この本(以下「鯨に挑む町」)を何度か通読していますが、こんなことは書かれていませんでした。
大背美流れについてはp145~p159で触れられており、その大部分(p146~p155)は「熊野太地浦捕鯨乃話(著:太地五郎作)」からの引用という形で当時の記録が記されています。
その中には、このエピソードが創作であったという記述は当然ありません。
そして、とても不思議な話なのですが、上記の引用部分には近年とありますが、この本の初版第1刷が発行されたのが1965年、僕の持っているのは2011年に発行された初版第9刷です。つまり、この本は大きな改定などの作業をされていないようなのです。
変更された部分については、巻末(p207~p208)に記されており、内容的には誤植の修正と初版で予告した「熊野太地浦捕鯨史」という書籍が無事に発行出来たことの報告など、年表の一部追加についてが書かれています。
しかし、その中にもWikipediaにあるような内容の報告はなされていません。
つまり、ほぼ1965年に書かれた内容のまま、この本は今に至っているのです。
 
では、「近年」というのは何時だったのか?
それがとても気になってきました。
 

編集履歴をさかのぼると……

では、この記述はいつ頃からあるのでしょうか?
それがとても気になってきましたので、編集履歴を遡ってみました。
すると、最初にこの記述が出現したのは、2013年11月20日 (水) 13:36の版からではないかと判明しました。

しかし近年、下記の通り沿岸捕鯨で著しい減少があった可能性が示唆されていることと、背美流れ自体が創作であった可能性が浮上している。創作の意図として、組織間の確執と事業の無計画性が鯨組の経営難を招いた事を隠蔽する意図があったという意見が上がっている。

※前引用部分と同様に、注釈へのリンクは可読性を考慮して削除。
若干文章は違いますが、ほぼ同じ内容の記述があります。
しかし、その注釈には「鯨に挑む町」ではなく別の参考文献が記されていました。
それはどうやら個人ブログのようでそれを理由に、2014年1月11日 (土) 04:55の版では該当部分を削除されています。
ところが理由は不明ですが、この記述が2014年1月19日 (日) 10:54の版で復活します。
すると今度は別のユーザーによって2014年1月28日 (火) 23:58の版で再び削除されています。
理由は「検証可能性を満たしていない出典で不適」とのことです。
ところは、次はこの部分を追加した編集者が、削除させまいと食い下がります。
この記述に思い入れがあったのでしょう。
「あくまでも一意見として発表されていることを掲載しただけであり、編者の考察ではない」と、2014年1月29日 (水) 07:45の版で再度この記述を復活させます。
徐々に、編集合戦のような状態になってきました。
次の2014年1月29日 (水) 08:26の版では「ID:50524429 の版を取り消し 個人blogを出典にしない」と再度削除されています。
すると今度は2014年1月29日 (水) 08:33の版で、一旦内容を譲歩して、

しかし近年、下記の通り沿岸捕鯨で個体群の著しい減少と過剰捕獲による採算が取れなくなった可能性が指摘されている。

という、背美流れとはあまり関係のない内容に留めるようになりました(この一文を加える意図は不明ですが)。
そして2014年1月29日 (水) 08:55の版で初めて注釈で「鯨に挑む町」という書籍の名前を記載し、その記述が最後まで続いているようです。
 
さて、最初に注釈に記載された個人ブログの記事には、どんなことが書かれていたのでしょうか?
リンク先の「◇太地-ブルーム姉妹都市騒動の背景──価値観を共有しないで姉妹都市?」あたりをお読みいただくとわかると思いますが、「創作説」などとは書かれていないようです。
その部分に「鯨に挑む町」の名前は出てきますので、どうやら書籍名はそこで知ったのでしょう。
つまりは、編集者は、資料を読んでいないようなのです。
 
なお、最初に根拠とされていた個人ブログですが、編集履歴の記述によると、

このやり取りから https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=50525144&oldid=50519820 信用性に難ある個人ブログ http://kkneko.sblo.jp/article/31722747.html を書き写した虞

という記述があり、2015年10月4日 (日) 09:35の版(現在の最新)では、[要ページ番号]と記載されています。
 

「Gamera1123」という困ったユーザー

さて、この一連の記述にこだわった編集者はどんな人物だったのでしょうか?
利用者のページには記載はありませんでしたが、ノートを見てみると、その人物像が少し見えてきます。
読んでいくと、このユーザーはいわゆる「困った人」のように思えます。
例えば、公的なウェブサイトやある程度信憑性のある記述を根拠にするならわかりますが、そうではない資料を安易にソースとして使ってしまうようで、その件でこんな指摘をされています。

セミクジラにおいて魚屋の出典による歴史的見解を記述する件

用件だけで失礼しますが、こちらにも書かせていただきましたが、もう少し出典を選んでいただけませんでしょうか。百科事典を書いていますので、(従来のものの見方を変えるような)学術的な見識が必要な個所は、学術出典が無い(示せない)のでしたら、「出典が無い状態」と同じ状態ですので、そういった場合は記載を控えて戴けましたら、幸いです。これは、百科事典に学術的ではない出鱈目を書かないために、必要な考え方ではないかと思います。

※前引用部分と同様に、見出しなどは管理人が適宜設定。及び注釈へのリンクは可読性を考慮して削除。
また、こんな記述も。

要出典範囲の編集について・その3

Gamera1123さん。ノート:スマウグにも書きましたが、要出典範囲と、Gamera1123さんの提示した出典には、ずれがあります。今のままではGamera1123さんは虚偽のソースを示したことになってしまいます。あなたが出典を知っているだろうと私は思っていますが、書き方がおかしいので、結果的に嘘を書いたことになってしまいます。
不注意な記述をしてしまうことは誰にでもありますが、疑問を呈されたときに不注意な記述を繰り返すのは良くありません。ご面倒とは思いますが、記述の変更も含めて、より詳細な出典の提示をお願いします。

※前引用部分と同様に、見出しなどは管理人が適宜設定。及び注釈へのリンクは可読性を考慮して削除。
……結構うっかりさんなのか、それともいい加減な人なのか、そのあたりは判断に苦しむところですが、迂闊な人だったのかもしれません。
 
他にも、「性急な編集をしないように」や「他人の発言を撤去しないように」、「出典を提示してください」など、様々な指摘をされているようですし、途中で別のアカウント名に変わっていたり、熱心な編集者ではありますが、記述する内容は脇が甘く精度が低い内容だった様に思われます。
 

資料を軽く見る傾向とイデオロギーで編集する人たちが問題を作っている?

大背美流れに関する話は、とりあえずこの辺にしておいて、ここからはWikipediaを編集する人たちの中の、一部の人達について少し書きたい。
僕は、一度だけWikipediaのノートに問題提起をしたことがある。
それは、上記リンク先の「2012年05月30日の環境省国立水俣病総合研究センターの発表について」という見出しの部分ですが、これは当時懸念されていた「水銀中毒の可能性が否定されたこと」が、ニュースとして報じられた事実を記載するべきでないかという指摘をしたのですが、別のユーザーに、

「水銀中毒が疑われる人はおらずクジラ肉を摂取したことで健康への影響はない」との結論には慎重になるべきでしょう。成人については問題なくても発生中の胎児には神経系の(脳)障害をもたらす危険性は否定できません。したがって妊婦の水銀接種は取り返しのつかない結果をもたらすことになることも考えられますので安易な楽観論の記載には慎重になるべきでしょう。

という、よくわからない指摘をされて、「ああ、そういうイデオロギーで編集をされているのだろう」と感じました。
 
それ以降、Wikipediaというサービスには、一定の距離感を持って接することにしています。
しかし、Wikipediaのユーザーは、僕が提示した資料や情報を安易に引用することが多いみたいで、一部のユーザーがこのNAVERまとめに書かれている内容をWikipediaに利用しているようです。
被害妄想ではと思われるかもしれませんが、編集日時を拝見すると、僕がまとめに記載した日時よりも遅く、僕が記載した範囲でした記事を書いていないこと、そしてこれらの資料が一般的に入手しづらいことからも、それらの疑念を打ち消しづらくなっているのです。
 
その方がどうしてそういった編集を行ったのかは、正直なところはわかりませんが、編集の履歴を見ると、一定のイデオロギーに取り憑かれているのではないかと感じられます。
それは、「大背美流れ」の記述で創作論に固執した編集者と同様に、Wikipediaの編集者の資質に欠けているのではないかと、そんなふうに感じられました。
また、資料を軽く見る人達が、Wikipediaをまとめるということに、とても違和感を感じてしまいます。
よく卒論やレポートがWikipediaのコピペで済まされる問題が取り上げられますが、そのWikipedia自体がネットにあるソースを適当に記載したものだとなると、これはもう悪い未来しか見えてこないです。
 
そんな人達は、Wikipediaの記事編集には関わってほしくありません。
少なくとも僕は迷惑だなと感じていますが、みなさんはいかがでしょうか?

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