Behind “THE COVE”を視聴して

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先日、太地町で話題の映画「Behind “THE COVE”(ビハインド・ザ・コーヴ)」を見てきましたので、その話を……。

元々は太地町にある飛鳥神社の例大祭の宵宮に行われる樽神輿を見に行く予定で一泊二日の太地行きだったのですが、10/12の昼に上映会があるという話を聞き、急遽予定を変更して二泊三日の太地行きとなりました。
 
僕が到着した10日と11日の午後までは、天候が悪く、強い雨の降る中で行われた樽神輿も例年よりも時間が短かったとのことでしたが、他では見ることが出来ない光景を楽しむことが出来ました。
ところが10/12の上映当日は今までの悪天候が嘘のような晴天で、そのせいもあって会場だった公民館には多くの方が来られていました。
 

注目度が高かった映画


恐らく関係者以外で一番最初に会場入りしたのは僕だと思うんですが、しばらくは一人でぼーっとしていました。
上映一時間ちょっと前くらいから、徐々に人が集まり始め、開演時間には時ほぼ満席。


以前お話を伺ったことがある太地町漁協の方が、慌てて座席を追加していたので、恐らく主催した方も、まさかこれだけの人が参加するとは思ってもいなかったのでしょう。


実際のところ、ほとんど告知らしきことはされておらず、ワープロで作った感じの簡素な掲示物が町内にポツポツと貼られていた程度ですし、見間違いでなければ、前日までは公民館にも掲示物は貼られていなかったように思います。
当日になって玄関にチラシが貼られていて、「あ、上映会はやっぱりあるんだな」と、安心した気持ちになりました。
 
恐らくですが、様々な事情があったのでしょう。
何分、今現在、この地には反捕鯨活動家が日々徘徊しているだけですから、そういった連中が乱入しないように用心していたのかもしれません。
そんな、十分に告知がされていないような状態にもかかわらず、(僕を含めて)県外からも映画を見に来られた方がいいました。
また、12日は例大祭の最終日でもあり、祭に参加されていて来られない方や、仕事で来られなかった方もいたようで、それを考えると想像以上にこの映画に対する期待があるのだろうと感じました。
 

太地町の持つ2つの顔

「今、世界には、TaijiとTAIJIという2つの太地が存在するんです。一つは一般的に語られる観光地としての太地(Taiji)、もう一つは捕鯨問題やイルカ漁の問題の象徴としてのTAIJI。これらは同じ場所を示していながら、全く違う印象を聞き手に与えるもので、それはさながら福島とフクシマのようなものだ」
以前、太地町である方とお話をした際に、こんな意見を聞いて、とても腑に落ちるものがありました。
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この映画の中でも、その二面性が描かれています。
真夏に鯨と戯れる海水浴客で賑わう畠尻湾や、東の浜で行われて大勢の人たちで賑わう太地浦くじら祭と、追い込み漁の期間に活動家が跋扈する畠尻湾や太地港、そして太地町内の様々な場所。
これは同じ場所のはずなのに、見る人のイメージは恐らく正反対でしょう。
それがほぼ同じくして映像として映し出されるのは、映像というメディアの特徴なのかもしれませんが、知っていても実際に見ると、かなり違和感を抱くものです。
 

環境保護?動物愛護?それとも自文化中心主義?

太地町を徘徊する活動家は、一体何を目的としているのだろうか?
環境保護なのだろうか?
動物愛護なのだろうか?
それとも、また違った目的なのだろうか?
環境保護にしても、動物愛護にしても、やり方はいくらでもあるはずなのだが、なぜこのような形になてしまったのだろうか?
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話し合うつもりもなく「お前の名前は?」と連呼する活動家。
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活動家に届くメールには、「相手を惨めにさせることが使命」と書かれている。
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リック・オバリーは、対話ではなく「ガイアツ」が必要だといい、ルイ・シホヨスが「誰もがベジタリアンになれば良い」などということをいいます。
 
こういった高圧的な態度や攻撃的な姿勢を用いて、「私たちの正義を受け入れろ」といいたいのでしょう。
これは、いわゆる「自文化中心主義(エスノセントリズム)」と呼ばれるものです。
彼らは、動物を守りたいわけでも、環境を保護したいわけでもないのですが、どうやらそういった口実を使うことで、悪しき民と自分たちが認定した人たちを攻撃したいのでしょう。
そうでなければ、「落としどころ」を模索するはずです……。
ところが、活動家サイドは全くその気配を見せず、断罪しようとします。
その良いサンプルが、スコット・ウェストが2010年に設けられた唯一の話し合いの場で見せた高圧的な演説でしょう。
本来、漁業をやめるようお願いする立場だとわかっていれば、話し方も変わってきたでしょうし、交渉の仕方も違っていたでしょうが、「我こそ正義」だと思い込んでいたからこそ、あの内容になったのではないかと思います(その内容は、是非映画のほうでお確かめ下さい)。
  

追い込み漁と捕鯨問題の接点

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「モラトリアムがなかったら、起こっていないことだ」
まさかこんな切り口でくるとは。
ダイジェスト版で「これがどこにつながってくるのか?」と気になっていたのですが、確かにそうかもしれません。
もともとICJ(国際司法裁判所)の判決がきっかけとなって動き始めたこの映画は、太地町で起きている出来事を飛び越えて、話の内容は国外に向かっていきます。
どうして商業捕鯨モラトリアムは実施されたのか?
本当にすべての鯨は絶滅に瀕していたのか?
IWCの元代表たちの口から語られる、様々なエピソードは、恐らく多くの方がご存じないことでしょう。
IWCという、ある種の政治の舞台で、一体何が行われていたのか? 
そして、捕鯨問題の根幹にあった、ある出来事が明らかになります……。 
 

ルイ・シホヨスへのラブレターとしてのBehind “THE COVE”

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かつてルイ・シホヨス監督は、ザ・コーヴは監督から太地町に住む人たちへのラブレターだと言っていました。
彼は「両方に話を聞きたかった」といっていますが、彼が太地町に来た際に実際にいったことは違っていたようです。
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諸貫氏は東京国際映画ショーで、ルイ・シホヨス監督を見つけて声をかけたところ、やましいところがあったのか、そそくさと退散してしまったようです。
もし、本当に両方の言葉を聞いて作ろうとしたのなら、やましいところはなかったはずなのですが、実際は違ったのでしょう。
 
恐らく、この映画は、ルイ・シホヨス監督へのラブレターになり得ると思います。
少なくとも、監督ができなかった「両方の意見を聞くこと」が、この映画では成立しています。
作りも内容も荒いところはありますが、このラブレターはかなり強烈で熱い想いがこもっていますから、ぜひ一度見ていただきたいものです。
 

個人的な雑感として


実は、まだ完全に咀嚼できていない部分がかなりありますが、それはいつか何処かで再度拝見できることを期待して、今感じていることを書き出すと……。
■きちんと読み解くためには前提となる知識がかなり必要。
■映画としては不親切な部分はあるが、わかれば結構楽しんで見られる。
■もう少し、太地という場所に関するエピソードが欲しかった。
■ストーリー上仕方ない部分はありますが、若干飛躍しすぎな部分があった。
■字幕の入れ方には配慮が必要かな……?
■何にしても、これだけの大作を一人で作り上げたのは、称賛に値すると思う。