本当に畜産より追い込み漁は残酷なのか?

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先日は、「残酷」という曖昧な定義での批判についての記事を書きました。
では本当に畜産は追い込み漁の捕殺よりも残酷ではないのでしょうか?
そのことを検証してみます。

まず、日刊ゲンダイの記事より、伴野氏の言葉を再度引用してみます。

「製作者の意図通り『これはひでえな』と思いましたね(笑い)。それがイルカ問題に関わるきっかけでした。その後、追い込み漁が行われている太地町の漁師の側に立ったNHKの特別番組が放映されたり、ケネディ駐日大使の『イルカ追い込み漁の非人道性について深く懸念している』というツイートに安倍首相が反論するなどの動きがありましたが、私は取りあえず太地町に行こうと。で、滞在最後の日に偶然、追い込み漁を目撃したんですが、確かに屠殺する場面は残酷で、ショックを受けましたね。牛や豚だって屠殺していると言う人もいますが、イルカの屠殺ははるかに残酷です」

※ボールドは管理人による。

……さて、このボールドの部分についてですが、追い込み漁を目撃したという話がかなり怪しい(捕殺については見学させてもらえるようなものでもなく、状況を確認できるのは流出動画をみたりPDFの資料から想像する程度しか手段がない)という話は前の記事にも書きましたが、では、経済動物の屠畜より追い込み漁の捕殺が残酷なのでしょうか?
そこについて考えてみましょう。
なお、これから書くことは、畜産関係に携わる人達を中傷する意図は全くありません。
単純に屠畜という事柄を考えるためのサンプルとしてあげさせていただきました。
 

屠畜は動物に配慮されているのだろうか?

さて、経済動物の屠殺はどのように行われているのでしょうか?
牛に関しては、「いただきます絵本プロジェクト」の「加古川食肉センターで見学してきました」という記事に書かれていることがわかりやすいと思うので、そちらをご覧に頂きたい。
ここで牛の屠畜に関してわかることは、「頭部に強い打撃を与えて失神させ、次に首筋に切れ目を入れて失血死させる」ということを手作業で行っているということです。
他にも電気ショックなどで失神させる方法などもありますが、気絶させて失血死させるという方法がとられることが多いようです。
しかし、動物愛護団体などによると、対象の牛が失神していないこともあるらしく、その場合な意識がある状態で失血死することになります。
そうなると、少なくともその牛は大きなストレスを感じるでしょう。
また、宗教上の理由で失神させる過程を省いて失血死させられる場合もあるそうで、そうなるともうすべての牛が大きなストレスを感じながら死んでいくことになるわけです。
つまり、必ずしも完全に動物に配慮されているとはいえない状態にあるようです。
 

養鶏の場合はどうだろうか?

「ぼくらはそれでも肉を食う」という書籍の六章に、養鶏と闘鶏のどちらが幸せかというテーマが扱われていて、その中に養鶏の問題点が細かく書かれています。
品種改良によってとても早く、大きく育つ鶏は、一ヶ月半から二ヶ月くらいで2.3kg程度の大きさになりますが、狭いケージの中で飼われ、体の成長に骨格や腱がついていけず歩くこともままならない状態で出荷される場合が多い養鶏という存在は、屠畜の際も多くの問題を抱えていて、貧しい養鶏業者の場合は出荷用のトラックに鶏を人間が積みこむため、四分の一の鶏が怪我をするといわれています。
加工場に送られた養鶏は、電流の流れた水槽に逆さに入れられて7秒から10秒程度の電気ショックを与えられ気絶させられたあと頸動脈を切断され、血抜きをされたあと煮沸槽につけられるという工程を経ますが、場合によっては気絶することなく煮沸槽までの過程を通過してしまうこともあるようです。
こうなるともう、その苦痛はイルカの捕殺時間と比較するのもはばかられるのではないかと思います。
 

苦痛は屠殺時だけなのだろうか?

また、畜産において、批判の的になる行為が他にあります。
牛の場合は角切、豚の場合は断尾、鶏の場合は断嘴など、体の一部を切除されることが、過程の中に存在します。
これらは、もちろん大きな苦痛を与える作業になりますし、客観的に見れば残酷なことだともいえるでしょう。
他にも、経済効率のために密飼いになり、衛生的にも問題のある環境に置かれ、短期間で大量に生産され消費される命という食材の存在は、アニマルライツ的にはとても大きな問題になってくるでしょう。
養鶏に関して言えば、先程も書きましたが、その種自体が成長するにあたって様々な問題を抱えており、それを作り上げたのが経済的な事情であることを考えると、改めて人間という存在の残酷さを思い知らされるでしょう。
そのせいか、PETAの代表であるイングリッド・ニューカークでさえ「それなら鯨を食べればいい」という趣旨の発言をしています。
それだけの命を消費して人間は生きており、社会は動いているのだという現実を、消費者は理解するべきなのでしょう。
 

再び、追い込み漁は畜産より残酷なのか?

前回に「残酷さ」というのは曖昧なものだという記事を書いておいて、再び残酷なのかどうなのかを考えるというのは、ちょっと矛盾しているかもしれないですが、もう少しお付き合いください。
伴野氏が、何をもって追い込み漁が残酷だと感じたのは、正直なところこの記事だけではわかりません。
伴野氏が見た印象だけで「残酷だ」と断罪されてしまったのではないかとしか、今のところ思えません。
では、逆に屠畜について考えていくと、様々な問題点もさることながら、圧倒的な量の命を消費している現実を考えれば、相応に残酷だということを意識する必要があるでしょう。
例えば、平成27年7月の豚の屠畜数は1,322,752頭、牛は98,196頭だそうです。
これは国内で生産されたものの合計ですから、輸入されたものを加算すると、更に大量の牛や豚を日本で消費していることになります。
つまり、それだけの命が失われているのです。
更に鶏の数を、海外から輸入している分も含めて加えたら……。
僕はそちらの方が残酷だと思いますし、そのことを意識しつつ生きようとさえ思えましたが、皆様はどう思いますか?

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