半年ぶりに太地町にいってきた

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太地駅に描かれている絵

WAZAやJAZAに関連した騒動以降、どうしても気になって、半年ぶりに太地町にいってきました。
南紀の日差しは相変わらず強く、少し歩いただけなのに、しっかり日焼けしてしまいました。

 

今の太地は……。

いろいろなトラブルで到着が予定より一時間強遅れて太地に到着して、ブラブラと太地を歩いてきました。
途中で入った食堂で鯨料理を食べ、夜は地元の居酒屋で、漁師さんに勧められたゴンドウクジラの刺身やツチクジラの尾羽を頂き、町の人に混じって太地の夜を楽しみました。
件の騒動については、それほど神経質にはなっていないものの、気にはされているようでした。
というのも、町長の強い姿勢のおかげで、町としての方向性は決まっていて、そこについては迷いはないが、今後の漁期の様々な妨害やハラスメントについては、やはりナーバスになっているのかもしれないなと、そんなふうに感じました。

これは僕の認識ですが、JAZAに加入していない施設とのつながりは今後も続くことになりますし、今後JAZAから脱退する施設もでてきますから、今後も追い込み漁は続くでしょう。
動物愛護団体の当初の目的であったであろう「追い込み漁の廃止」には及ばず、むしろ漁の廃止への道を閉ざしてしまったようにも思えます。
また、前回の記事にも書きましたが、今回の話は倫理という切り口によって漁が否定されましたが、この倫理という言葉が、やがて動物園や水族館という施設に不利な結果をもたらす可能性があるでしょう。
そうなった時、WAZAやJAZAがどのような会見をするのか、個人的にはとても興味があります。


自分にできることを考える

話は変わりますが、あのくだらない映画がきっかけになって太地町を知り、その後いくつかの理由があって、初めて太地町にいったのが2012年の2月末。
それから3年ほどで計13回太地という場所に来て、歩いたり写真を撮ったり、料理を食べたり考え事をしたり、それほど多くはないのですが地元の人と話したりと、いろいろな経験をさせて頂きました。

太地町を歩き、博物館で売られていた資料を買ったり、別の方から資料を譲ってもらったり、または、Facebook経由で知り合った太地の方に話を聞かせていただいたりと、太地という場所のことをたくさん知ることも出来ました。
そうして、数年前までは知りもしなかった場所への想いが強くなるにつれ、いろんなことを考えるようになりました。
この場所のために、僕ができることは一体何があるのだろうかと、そんなことを考え始めました。

例えば、追い込み漁とは実際にはどんなものなのかということについて、自分なりに調べていく必要があるなと思い、古式捕鯨から現在の追い込み漁へのつながりをまとめてみました。
ネットでは博物館建設が追い込み漁が始まるきっかけになったという説が多く流布されていますし、追い込みの技術は伊豆半島から伝わったものだという説が信じられているようですが、町史にはそれ以前に行われていた記録もあり、現地の方に聞いてみると、記録には残ってはいないものの、追い込みや寄せ物として太地湾(当時は畠尻湾ではなく現在の太地港のある湾で追い込みが行われていた。当時の様子は、太地町の食堂や居酒屋に写真が飾られていたり、町史に写真が掲載されている。また、当時のニュース映像も存在するようだ)、で捕獲されていたようです。
逆に、町史には、伊豆から追い込みの技術が伝わったという記述もありません。
別のいくつかの資料には、博物館ができた後に、追い込み漁の効率を高めるために、伊豆の追い込み漁の技術や道具を取り入れたという記述があり、別の証言から追い込み漁自体を伊豆の人たちが太地にもたらすことは難しいだろうという結論を得ました。
そういった結果をまとめて公開することで、ネット上に流布している誤解や嘘に対抗しようと思いました。
まだこのまとめは不十分(実際は更に原型である古式捕鯨に近い形の追い込み漁が模索されたようで、その記録や伊豆の追い込み漁についての調査ができていないので、完全とはいいがたい)なので、もっと情報の確度の高いまとめになるよう、引き続き情報をまとめていこうと思っています。


他にできることはないか?

追い込み漁に関するまとめ以外にもできることはないかと思い、ない知恵を絞りながら模索をしているところなのですが、残念なことに自分が現地にいないために、十分な情報発信もままならないのが現状です。
自分が現地にいるときは写真などをアップロードして、かろうじて自分が運営するFacebookページで現地の風景を診てもらうことが出来るかもしれませんが、それ以外は情報をキュレーション的に取りまとめたりする程度の活動が今の限界です。
それでも、何かできることがあるだけマシなのかもしれません。
だからこそ、これからも折にふれて太地へいくことになると思いますし、より多く現地のことを知って、それをまとめていこうと思います。


そして再び太地の話

翌日、お世話になった民宿の前を歩いて、漁港の脇の長い坂道を登り、梶取崎にいってきました。
僕が何度もこの場所に来るのは、この場所の景色がとても気に入っているからです。
歩いていくにはちょっと遠い場所なので、特に日差しの強い昼間には若干つらい散歩になりますが、それでもその先の景色を知っていると、やはり見たくなってしまいます。

2015-05-31 10.02.00

この日はツール・ド・熊野の最終日で、太地町内一帯がレースのコースになっていたこともあり、いつもより移動に時間がかかってしまいましたが、それでもこの景色を見るたびに、ここに来られたことを嬉しいと思えますし、また来ようと思ったりします。
そして、もっと多くの人にこの場所に来てほしいと思います。

最近思うのですが、現在では「太地」という言葉には、2つの意味があるような気がします。
ひとつは、和歌山県の隅にある小さな町としての「太地」です。
もうひとつは、捕鯨問題で話題の中心になっている「太地」です。
このふたつは、一見同じことをいっているように見えますが、実際は違うもので、お互いに含まれる要素が重なる部分もあれば、異なる部分もあります。
捕鯨問題ばかりを意識して太地を見ていると、町の人の声は全く聞こえてこなくなるでしょう。
逆に一地域としての太地に着目し続けると、活動家の存在や、彼らが流入してくる理由がわからないかもしれません。
だから、どちらの太地のことも、出来る限りバランスよく知っていく必要があるんじゃないかなと思います。
捕鯨問題に関しては、僕以外にも様々な方が情報を発信されていることでしょう。
でも、太地という場所のことを情報発信されている方が、あまりいないような気がします。
僕にそれがうまく出来るか、あまり自信はありませんが、出来ることならバランスよく、「太地」について語ることができればなと思います。

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