WAZAの終わりの始まり

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

2015年5月20日、JAZAが太地町のイルカ追い込み漁で捕獲されたイルカの購入をやめることで、WAZAに加盟し続けるという選択をした。

この選択自体は、JAZA内での様々な利害関係や想いの葛藤があったと思うし、それによって互いに痛手を被ったという結果となったこともあり、個人的にはそれ以上のことを思うことはありません。
しかし、WAZAがJAZAに求めたことがJAZA側に伝わっていない上に、WAZAの要請に基づいて追い込み漁を変えてきた太地町の立場を考えると、この理不尽な仕打ちは、日本側の、WAZAという組織に対しての不信感が大きく根付いたのではないかと思う。
 

事の発端はなんだったのか?

この話題、報道によってはWAZAの最初の批判は台北で行われた2004年の会議にさかのぼって話をする場合があるため「ザ・コーヴとは関係のないものだ」という見方をされる方もいるだろう。
しかし、太地町に2000年頃には活動家が侵入してきており、その流れがザ・コーヴを生み出した。
その経緯を考えると、2004年の件も今回のこともまた無関係とはいえないだろう。
現にWAZAへ抗議を行っている動物愛護団体も存在し、その圧力はJAZAに対しても向けられたという。
 
WAZA側は倫理規定について指摘しているが、JAZAによれば具体的な問題点をWAZAは指摘していないとのことなので、本当に倫理規定への抵触が問題だったとするなら、こういった反応ではないだろう。
つまりは、「太地の追い込み漁に関わるべからず」という結果ありきで、その口実に倫理の問題を持ちだしたと考えるのが、最も整合性が取れるだろう。
 

WAZAの終わりの始まり

さて、タイトルについてである。
今回、「倫理」という切り口によって、太地の追い込み漁が糾弾されたが、この「倫理」という切り口は、実は諸刃の剣だということを、WAZAは気がついていないのかもしれない。
仮に今後も倫理を基準に方向性を定めていくとなると、動物園や水族館というのは非常に危うく、見方によっては非倫理的な経済活動の塊だと言わざるをえない側面がある。
「野生動物を自然界から略取し、見せ物にし、一生飼い殺す施設だ」と言われても否定出来ない部分がある以上は、動物愛護団体から攻撃を受けるだろう。
以前にあった「EMPTY THE TANKS(水族館を空にせよ!!)」などには、そうした主張に近いものがあると思う。
 
生体の捕獲ではなく、人工的な繁殖にしても、自然環境から人工的な環境に動物を持ち込んで行う以上、動物の権利を重んじる人達から見れば、「生命の搾取」だといわれても仕方ないだろう。
彼らにとって、自然界に存在する動物の姿こそが正しいのだから。
 
倫理という基準なら、何がどう問題だったのかを相手にきちんと伝えるべきだし、相手が行った改善の努力についてはきちんと評価をするべきだろう。
今回のように、判断の基準を明確にせず断罪するような行為は、やがて自分たちの存在を脅かし、否定せざるを得ないことに繋がるかもしれない。
 
それが、彼らの終わりの始まりになりかもしれないと……。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る