「社会を変える」という活動とは?

By kujiratalk, 2015年5月5日

この投稿は、あまり捕鯨問題とは関係ないものです。
捕鯨問題について考える際に、先鋭的な動物愛護団体の活動に注目せざるを得ないのが現状で、その活動について評価をするためには、他の事例について少し知る必要があると感じました。

こういった先鋭的な動物愛護団体や反捕鯨団体が、何かの活動を行う場合に、本来ならどのような方法を取っていくべきだったのだろうか?
本当に、対立する他者を罵倒し、攻撃をし、世論を変えていくしか方法は無かったのだろうか?
 
そこで、今回は、こうした団体が「世の中を変える」という活動について、考えてみたいと思う。
 

「世の中を変える」きっかけは、誰の心の中にもある。

ここで、1つの事例を紹介したい。
この団体は、動物愛護や反捕鯨とは全く関係のない団体だが、悲しい現実を変えた事例でもあるので、参考にはなるだろう。
かものはしプロジェクトは、カンボジアにおける児童買春を始めとした人身売買を撲滅するためにできた国際NGOで、実際にカンボジアで成功を収め、その活動範囲をインドまで広げることになり、さらなる活躍が期待されている。
この団体は、共同代表の一人が東南アジアを訪れて、現地の惨状を知り、その悲しい現実を変えるために活動を始めたことがきっかけとなって生まれた。
当初は子供たちの教育の充実を目指し、パソコン教室を当地に開設、運営していくことで成果を上げてきたが、それが抜本的な解決に繋がらないとわかると、大きな軌道修正をし、貧しい農村に職業訓練センターを作り、貧しい農民達に手に職をつけ、副収入を得ることのより経済的な余裕を得ることが出来るようになり、結果、経済的に余裕ができることで、貧しい農民が子供を売る事がなくなり、児童買春が激減するに至った。
 
このように、一人の人間の想いが、様々な人達を巻き込んで、社会の一部を変えてしまうことは、不可能ではないし、そういった思いを抱く人はいないわけではない。
それは、ある意味動物愛護団体でも、反捕鯨団体でも、同じなのかもしれない。
 
しかし、その違いは、その方法ではないかと思う。
 

「世の中を変える」ことは、誰にでも簡単にできるというものではない。

では、一体何が違うのだろうか?
その方法とは一体何なのだろうか?
それは、「攻撃的、暴力的、差別的な方法を取らず、社会の枠組みの中だけで活動を行った」という部分にあると思う。
彼らは、職業訓練センターを建設する際の用地の確保も、住民と交渉して行い、休みがちな訓練生には、自宅を訪問して粘り強く説得し信頼を得ることで訓練に復帰できるような努力をしている。
他にも、売春宿にガサ入れをした際に、正しく法的な判断が出来るように、現場の警官に教育を施すような、一見関係性の薄いようなことも行い、その結果、被害者のはずの子供が加害者のごとく扱われるケースが減り、また子供を置く売春宿はリクスが高くなるために客も敬遠するようになるため、宿自体が子供を置くことが少なくなったようだ。
彼らが暴力的な手段を取り、ヘイトスピーチで圧力を掛けることは簡単だったかもしれないが、逆にそういった手段を取らなかったために、現地での活動が住民に受け入れられ、信頼を得ることができ、結果として一つの成果を出すことができたといえるだろう。 
また、日本の状況とカンボジアの状況をお互いに理解するために、お互いのスタッフが行き来するというようなことも行っているようで、こうした相互理解によって難しい方向転換も行うことができたようだ。
 
単に個人の思いの押し付けではなく、現地を訪れて見聞きしたことを活かし、相互理解を大切にして、自分たちにできることを考えて活動をしていった結果、きちんとした成果が生まれたといえるだろう。
逆に、世界的なNGOであっても、こういった当たり前の活動ができない団体もある。
暴力的な手段やヘイトスピーチで世の中を変えようというのは、当事者たちだけの身勝手な想いによる自慰的な活動だといえるだろう。
 

この違いこそが大切

まず理解しなければならないことは、その活動が誰のためにあるのかということだ。
「かものはしプロジェクト」の場合は、明確に現地の貧しい人たち、特に子供たちが抱える難しい問題を解決するためにあったが、対象が明確であったために活動の方向性も明確になっているのかもしれない。
ところが、先鋭的な動物愛護団体や反捕鯨団体は、こういった目的の趣旨を誰かに伝えて、協力を要請したり説得したり、交渉したりするような活動をせず、凄惨な画像をネタにヘイトを煽るだけになってきている。
対象となるものが、「言葉の通じない相手」だが、実はその意志は活動家の心の中にあるとさえ思えます。
ですから、内なる心の声を信じるしかなく、どうすればいいかという解決策も提示できない。
結果、住民から受け入れられることなく、単に対立を深め、入国さえ許されないような状況になってきている。
その差が、こういった活動の質につながっているのだろう。
 
下水に流れるクジラやイルカの血液を撮影して、一体何が解決するのか?
居もしない水銀中毒をでっち上げて、漁師は漁を中断するのか?
それがわからないというのは、とても愚かで残念なものだというしかない……。

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