動物愛護屋はホロコーストを利用する

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海外の活動家サイド(もしくはそれに類する人達)は、イルカや鯨を人にたとえ、漁業である追い込み漁をホロコーストだといい、南京大虐殺に紐づける。
しかし、彼らの生活やそれを支える技術が、どれだけの搾取から築き上げられてきたかについては、何も言及しようとしない。
なぜなら、それらの発言は差別主義が根底にあり、善なる自分たちには適応されないからだ。

※今の時期なら「ISILとシー・シェパードの類似性について」や、先日手に入れた「イルカのくれた夢」の記述に関する指摘などをしたいところなのですが、先日ふと電車の中でメモしたものがありますので、そちらを先に投稿します。


彼らの先祖は、どうして日本にやってきたのか?

まず海外からの活動家達は、彼らの先祖がなんのために日本を開国させたのかをキチンと学んでいるのだろうか?
これは日本でなら、中学生くらいに歴史の授業で学ぶような、誰でもきいたことがある話で、欧米の捕鯨船が、補給のための寄港地が必要だったから、日本を開国させたわけである。
当時、沿岸での鯨類資源を捕鯨で枯渇させてしまった欧米諸国は、新たな鯨を求めて沿岸を離れ、海を越えて日本近海まできており、太地町史の巻末の年表には、このような記述がある。

嘉永 一(一八四八)
アメリカの帆船二隻が串本沖大島湾に入り一一日間停泊し、その間、発砲、略奪などの狼藉して去る。
このため熊野沿岸各所に狼煙台を設けて警戒するようになった。この時太地浦にも設けられた

「鯨に挑む町」によると、狼煙台が設置された地域は紀州九九浦に及ぶとのことなので、かなり広範囲を警戒していたことが伺われる。
また、「鯨に挑む町」の年表ではこういった記述もある。

一七九七(寛政九、米格)
七月一六日、太地沖に異国船二隻が停泊して、鯨舟、銛などを見て、笑って去る。

ザ・コーヴによって平穏を脅かされていた人たちの祖先もまた、欧米からの脅威を感じながら生きていたのだろう。
当然、このような細かい事象は知るはずもないだろうが、海外の活動家達は、おそらく日本と欧米諸国のつながりの経緯を学んではいないだろうし、学んだとしても「それは過去の出来事だから」と自己保身に走るだろう。
ところがそんなに単純な話ではない。

なかったことにされる「鯨類へのホロコースト」

活動家たちの用いる言葉で例えるなら、日本の開国というものもまた、帆船式捕鯨による鯨類たちへのホロコーストに手を貸したことにもなるのだろうが、前述したが欧米諸国がジャパングラウンドに大挙した理由は、自国沿岸での鯨類資源の枯渇が原因で、それがやがて手付かずだった南極や北極にまで及ぶ頃には、世界中が鯨類を資源として認識するようになっており、効率的な捕獲を行うために、大型の鯨類を真っ先に捕り尽くすようになった。
例えば、シロナガスクジラを積極的に捕獲したのは主にイギリスとノルウェーだが、この二国がその後南極海で何らかの鯨類に関する調査を国家として予算を組んで行っているという話は、少なくとも僕は知らない。
また、活動家たちから「我々の祖先は過去に多くの鯨類資源を世界中で枯渇させた。このことの責任を負わなければならない」という旨の主張や宣言を聞いたことがない。
また、これもよく言われることだが、マグロ巻き網漁による混獲の問題についても、同様に活動家たちは口をつぐむ。
これまで太地町で行われてきた追い込み漁とは比較にならないほど大掛かりな「混獲による捕鯨(はっきり言って韓国の混獲や違法捕鯨さえも霞んで見えるレベルの混獲)」を行っており、しかも問題である漁具を改修しただけで、延縄などを利用するといった根本的な改善をせずに未だに行われていることについて、何らかの弁明があったという話も聞かない。
どうやら、彼らが行ってきた鯨類へのホロコーストは、どうやら彼らには「存在しない」もののようだ。

ホロコーストを利用する人たち

少なくとも漁業は漁業の問題であり、動物愛護の問題は動物愛護という議論の中で解決されるべき問題ではないかと思うのだが、活動家たちにはそういった理論は通じないらしい。
だからというわけではないが、2つほど彼ら同胞が行ってきた事柄について書いてみた。
元々のメモでは、さらに同化政策や隔離政策の話も交えて色々書いたのだが、とりあえずそれらは別の機会にでもまとめるとして、今回は捕鯨の観点からダブルスタンダードではないかと感じた部分をピックアップした。
彼らの親や祖先もまた、自分たちの発展のために鯨類という資源を利用し、食をつなぐために混獲という問題を抱えてきたという事実は否定できることではない。

それの問題を見つめることを拒絶し、日本の漁業や調査をホロコーストと呼ぶのなら、過去の行いを認め、きちんと責任を果たすべきではないのだろうか?
南京大虐殺を捕鯨と紐付けることが是とされるなら、自分たちの祖先が植民地政策の元で、一体何をしてきたかを僕らが追求することもまた是とされるべきだろうと僕は思うが、皆さんはどう思うだろうか?