2014年8月15日

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このテキストは、太地町で書いています。
しかも、夜明け前に。

日の出を見ようと早起きをして、軽く朝食でもとコンビニに向かっている途中で雨が降り出してきたので、そのまま宿に戻って、サンドイッチを噛じりながら書いています。

今回で10回目の太地町行きとなるわけですが、その記念すべき時に、太地町の夏の風景が見られたことは、とても大切なことだと感じました。
というのも、この町はくだらない映画で名前が知られてしまったばっかりに、その美しい風景を知らない人たちの間でだけ有名になってしまい、本来一番豊かな自然を満喫できるであろう夏の風景を、太地町を応援していると口では言っている自分も知らなかったからで、今回、夏の景色を目にすることで、一年を通して太地町の自然を見ることができたのではないかと考えると、この夏の持っている意味がとても重要なのだと気付かされたからです。

僕が太地町を通じて知り合った人は、ほぼ口を揃えて「夏の景色を見に来てほしい」といいます。
それは、地元の人でさえ一番いい時期だと感じているからなのでしょう。

しかし、残念なことに、あと15日もすれば、憂鬱な約半年間が始まります。
コーヴガーディアンズを始めとするアニマルライツ活動家たちが、続々と日本にやってきます。
そして、自分たちの妄想に基づいて、くだらない妄言を垂れ流すのです。
連中によれば、この町は、イルカを生体販売することで巨万の富を得ている上に、伝統でも文化でもない漁業でイルカを無駄に殺しているのだそうですが、約三年ほどこの件に関わってきて感じたのは、彼らの言うことには何ら根拠はなく、太地町の追い込み漁は、南紀の自然がもたらした恵みを頂いてきた漁民たちによって見出されたもので、様々な変遷によって形を変えつつも、その形跡を残して今なお存在するものです。

また、僕が何度も繰り返し言っていることですが、イルカの生体販売で巨万の富を得ている人など、この町には存在しません。
ほぼ町の全域を歩きましたが、極端に裕福な人というのは見当たらず、むしろ外に出ていってしまった人の住んでいた家が、空き家となって点在していることのほうが目につきました。
中でも、愛宕山神社に向かう途中で通った道は、本当に人気を感じることができず、ここにも過疎化の問題が存在していることに気が付かされました。
もし仮にイルカで得たお金で町が活気づいているのであれば、おそらくはここにも人がいたことでしょう。
しかし、実際は寂れていく一方の寒村(こう書くと地元の人に怒られてしまうのですが、僕の率直な感想としては、この言葉以上にふさわしい言葉が出てきませんでした)でしかないのです。
確かに過去には南洋と北洋に多くの捕鯨者を送り出し、また海外に多くの移住者を送り出し、彼らがもたらした富によって、富み栄えた時期はあったのかもしれません。
しかし、それは過ぎ去った過去の話であり、今とは全く事情が異なる時期の話なのです。

他にも、「太地町は同和との密接な関係がある」だの「右翼団体と関係がある」だの、ありもしないことを主張する保守系団体の方もいますが、こうした人たちもまた、実際の太地町の有り様ではなく、別の太地町のイメージを見ているようです。
自分たちの活動のためだけに、太地町を利用しないでいただきたいと、僕は思います。

最後になりましたが、こうしたくだらない一連の出来事から、太地町やその周辺の地域が開放され、別の意味で(と言うか本来の産業において)有名になって、もっと地域が活性化してほしいと思わずにはいられません。
今後も、僕はこの町を応援していきたいと思います。

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