この活動は誰のためにあるのか?

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半フカヒレキャンペーンの動画より

今朝、ちょっと面白い動画を見つけて、ふと、環境左派の活動は誰のために行われているのかが、とても疑問に思いました。


半フカヒレキャンペーンの動画より

半フカヒレキャンペーンの動画より

自分たちの「意志」を英語で語る理由は?

まずは、この動画をご覧ください。

今朝見つけたこの動画は、シー・シェパードのポール・ワトソン逮捕などで、いま話題になっているフカヒレ漁を止めさせようという趣旨の元に作られている動画だと思いますが、非常に奇異に思えました。
と言いますのも、本来訴えかけなければいけないのは、国内の市場ではないかと思うのですが、動画の中の人たちは、何故か母国語ではなく、英語で語っているのです。
重要なフレーズには字幕までつけて、アジア人であろうと思われる人たち人たちが、涙混じりに英語で真剣に語る姿は、僕の目には許しを請うのに必死のように見えました。
この記事自体、そういった主観によって書かれていますので、読まれた後の感想は、幾分割り引いて考えていただけるといいのですが、やはり西欧の価値観に従うことは是として考えられているのかなと、そんな感想を受けたのです。

動画に映っているのは、サメ漁の映像と、彼の地の人たちの弁解というか、反省というか、そんな内容で、語っている人たちの背景には、基本的に何も映っていません。
全体的に鈍目のトーンで、若干現実感にかける感じもします。
そのトーンの映像で、しかも英語で語っているアジアの人たちという、なんともフィクショナルな雰囲気が、突如として鮮明な画像で分断されます。
それは、フカヒレの消費や流通に関するシーンです。
このトーンの二面性は、もちろん無意識ではないでしょう。

これは推測ですが、ビビッドな色彩のシーンは現実で起きていることを印象づけるために(といっても、この内容自体が正しいかはさておき)、コントラストの高い画像として編集されており、逆に語りのシーンは語りの内容に集中させるためにトーンを鈍くし、語っている人物に集中するために顔のアップを重点的に、必要な台詞には文字を入れて理解させようとしている。
この動画の制作者は、恐らく語っている人たちではなく、また別にいるのではないかと思うわけです。

日本での姿は全く違うもののようだ

しかし、日本では様相は違うものになっている。
次はこちらの動画をご覧頂きたい。

この動画には、中には日本語で語っている活動家もいますが、基本的に欧米人が日本に来て、英語で語っています。
しかも、背景には日本の風景がしっかりと映り、「私たちはここで活動していますよ」というアピールを一生懸命しているわけです。
つまりは、自分たちの正義を布教するために、彼らは日本に来て語っているわけです。

内容はアノテーションによって日本語字幕がついていますから、日本人でも理解することは出来ますが、当然それは補助的につけられたものであって、ここでも想定される主な視聴者は、西欧の人たちではないかと考えられます。
つまり、こちらの動画は活動報告としての意味合いが強いでしょう。
語り手にも背景がしっかりと映しだされており、色彩も鮮明です。
これは、動画にリアリティーを与え、「『聖戦』がまさにここで起こっている」とう認識を、同じ志の人達に与えるでしょう。
だから、最後が「あなたの助けが必要なのです」とつながるわけですね。

さて、この2つの動画について、ちょっと違いを考えてみましょう。
上の動画と下の動画、見比べてみてどんな感じを受けますか?

まず、上の動画を見て下さい。
人物はどんなふうに映っているでしょうか?
画面いっぱいに、映る人の顔。必死に自分たちの言葉以外で、涙ながらに自分たちの罪を悔い改める人たち。
間に挿入される鮮明な現実。これが事実だと言わんばかりの、鮮やかさで視聴者に問題を投げかけてきます。
そして、再び人たちは語ります。私達はもう過ちは犯さないと……。

そして下の動画を見てみてください。
全てが鮮明で、背景がしっかりと映る中で、様々な人達が、自分たち(もっも英語圏の方だけではないと思いますが)の言葉で語ります。
それも雄弁に、自分たちの正義を相手方の景色の中で語り、そして助力を求めます。
自分たちの中に正義があると、迷いのない人達の作った、そんな動画にも感じられます。

この人ですら、例外ではなかったのか?

上の二つの事例以外にも、実は同じようなことが垣間見えたりします。
それも、日本の反捕鯨活動の中で恐らくかなり著名な人物の一人でもある、あの方で、海外の反捕鯨活動家の視線を気にしない訳にはいかないようです。

まずは、こちらの記事をお読みください。
そして、その英文ページ機械翻訳をお読みください。

なぜ英語版と日本語版の記事をご覧頂いたかといいますと、実は英語版には日本語版の最後の段落が書かれていません。
ちょっとその部分を抜き出してみましょうか。

捕鯨反対“運動”が支える調査捕鯨
 流通業者だって、大半は国産にこだわっているわけではないだろうから、アイスランドやノルウェーといったIWCに加盟していてなおかつ商業捕鯨が可能な国から輸入する鯨肉の品質向上を目指せばいい。需要はそれで十分賄えるほどに縮小している。今後そんな簡単には需要が拡大するとは思えない。筆者はそう確信している。 「商業捕鯨を再開したら、市場原理で日本の捕鯨会社は潰れるかもしれない」「だから日本の調査捕鯨を止めたかったら、とっとと商業捕鯨を再開させるべき」と、筆者は逆説的に状況を説明してきた。が、もはや商業捕鯨の再開を待つまでもなく、調査捕鯨は立ち行かなくなっているのだ。 貢献者は間違いなく、食べる気のない日本人と、捕鯨国アイスランドである。その足を引っ張っているのは、日本人の反・反捕鯨感情だけを刺激し続けている手合いの反捕鯨“運動”。日本人のなかにある「反捕鯨団体はけしからんという“世論”」を頼りに調査捕鯨を続ける鯨研や共同船舶の中には、密かにシーシェパードに感謝している人がいるに違いない。 昨春、3月に南極海から持ち帰られた調査鯨肉は翌4月に販売が告知された。昨夏の北西太平洋(房総半島から根室にかけての沖合)で捕獲された鯨肉は帰港後約2ヵ月で入札販売が開始された。そこからすると、3月31日に大井水産埠頭に入港した日新丸から降ろされた鯨肉は、遅くとも5月末には入札が開始されると思われる。

この主張自体は、「解体新書「捕鯨論争」」でも登場したもので、この本の主張の根幹をなすものの一つといってもいいでしょう。
もっとも、現状のIWCではありえないといっていい話ですから、ある意味「起き得ない状況だからこそしている強弁」ともいえなくもありません。
しかも、内容を読んでいくと、あたかも調査捕鯨を行う側はエコ・テロリストに感謝しているなどという憶測かつ反捕鯨側の意図しない表現もあり、これは英語にするわけには行かなかったのだろうと推測できます。
本当に自己の主張が正しいのであれば、海外からの目を気にすることなく、自説を英語でも公開すればいいのですが、やはり海外からの目を気にせざる得ない程度には影響があるのかもしれません。

こういった活動は、一体誰のために行われているのでしょう?
その地の人たちのためでしょうか?
国益でしょうか?
それとも……。

追記

今回の記事の話はTwitterでもつぶやいた話なのですが、岩谷さんに「これは欧米社会に住んでいる華僑たちではないか」とのことでした。
だとすると、やはり、彼らが所属している社会に対して許しを請うているように、僕には思えました。

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