「環境保護」のレトリック

By kujiratalk, 2011年12月13日

環境を護るということは、とても尊いことです。
人間のためにも、もちろん人間以外の動物のためにも、そういった考えは必要になってきますし、しっかりと話し合わなければいけないことでしょう。
同じように、動物について考えることも、必要なことです。
しかし、それらを裏付けなく推し進めることは、果たしていいことなのでしょうか?
捕鯨問題の一つの側面として、「環境保護」について考えてみたいと思います。

環境保護の名のもとに、嘘をばらまく人がいる

日本の捕鯨政策は、環境保護団体や動物愛護団体のいわれない誹謗中傷に、常に曝されている状態にあります。
彼らの主張の中でもっとも多く語られるもののひとつとして、「鯨類を捕獲することで、絶滅に追いやってしまう可能性がある以上、捕鯨は認められない」というものがありますが、こういった物言いは、鯨類がすべて絶滅の危機にあるという、誤った印象を多くの人に与え続けます。
そのために、多くの人が「捕鯨は行うべきではない」という意見をもつようになります。
ところが、彼らの言っていることは、実は確かな裏付けがあるわけはなく、そういった印象を与えたいがために「絶滅の危機にある鯨たち」という存在を作り出しているとも言えます。

ところが、実際は鯨類資源の状況は個々に異なるわけです。
絶滅の危機に瀕していると考えられているシロナガスクジラから、資源量がかなり豊富だと考えられているミンククジラまで、80種類以上の鯨類は個々にその状況が違っていることを、環境保護団体は語ろうとはしません。
前回の記事でも取り上げた、こちらの記事でも、グリーンピース・IFAW・WSPAのうちで、絶滅の可能性が高い鯨種と資源量が豊富な鯨種が存在することを、説明している反捕鯨団体はありません。
なぜなら、彼らは個々の鯨種の生息数を把握していないからです。
にも関わらず、「鯨が絶滅してしまう!」と声高に叫んでいるのです。

環境保護の名のもとに、虐げられる人がいる

前述のように、捕鯨問題には、嘘の情報が当然のように流布されています。
そして、それを単純に信じてしまっている人達が大勢います。
そういった人達は、海を挟んだ向こう側の奇妙な習慣について、ある種の嫌悪感を抱いているのかもしれません。
そのひとつの例として、海外の報道を見ると面白いことがわかります。
もしくは、海外の方の捕鯨についての言及を読んでみるといいでしょう。

捕鯨の報道や捕鯨への言及にはslaughter(虐殺)killing(殺害)などの言葉がついてまわるのです。

こういった言葉を捕鯨について用いるようになったのは、おそらく欧米諸国が南極海から撤退して、捕鯨をする必要がなくなってからのことでしょう。
なぜなら、彼らも自分の同胞が資源を確保してくれるという、大切な事業を「虐殺」などと表現をしないはずですから、当時はそのような表現を使うことはなかったでしょう。
ところが、自分たちが鯨という資源を必要としなくなった途端に、その行いは野蛮で惨たらしいという表現に変わり、その行いに抗議するという名目で南極海を酪酸(シー・シェパードは「腐ったバターで無害だ」といいますが、劇薬です)で汚しにいく反捕鯨団体が英雄視されてしまうのです。
そして、過酷な環境で調査を行なっている方々や、まじめに漁を営んでいる方々を、自分たちの価値観を根拠に虐げているのです。

環境保護の名のもとに、変わってしまう表現がある

このように、本来尊いはずの行いが、嘘によって不当なものに変化し、印象操作によって悪役を創りだすという、ある意味卑劣な行いに変えられてしまう。
そういった行為を平然と行うような環境保護団体が、世間の目を引き、自分たちの正義を声高に叫んでいる。
それが現在の捕鯨問題の一端なのです。
捕鯨の歴史を振り返ると、この行いが如何に身勝手で腹立たしいことなのかが、お分かりいただけることでしょう。
捕鯨問題のニュースを見たときには、ちょっとだけでも、こういった事情を思い出していただけると、南極海で奮闘している人達や、日本のどこかで捕鯨に携わっている人達も報われるのではないかと思うのです。

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