「解体新書「捕鯨論争」」が、予想以上に酷かった件。

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太地町から帰ってきて、三冊の本を読みましたが、その中で一番酷いと思ったのがタイトルにある「解体新書「捕鯨問題」」という本でした。
何がどれくらい酷かったかといいますと……

「反捕鯨サークル」ともいえる執筆陣の著書

この本の帯には「「賛成」「反対」はもうやめよう!」と書かれており、一見、今までの捕鯨問題に関する本とは違う趣を醸し出しているようにも見えるが、まずは執筆人を確認してみてほしい。
まず、編著として名前が挙がっている石井敦という方と、大久保彩子という方と、真田康弘という方は、多くの論文を執筆している方々で、中には共同執筆されているものもあり、おそらくその主張はお互いにコンセンサスが得られているものでしょう(これは想像ですが)。
佐久間淳子という方は、現在イルカ・クジラ・アクション・ネットワークという国内の反捕鯨団体に所属しており、それ以前はグリーンピースジャパンに所属していた方ですが、なぜか共同執筆者の一覧には、そのことは書かれていません。
そして、日本人以外で執筆者として名前が挙がっているのは、IWC科学委員会のアメリカ代表団の一人である、フィリップ・クラプハムというかたです。この方は非致死的調査の優位性を一生懸命語っている方です。
この方々に共通するのは、基本的に捕鯨に反対であるというスタンスの元に、常に発言を繰り返していることで、特に佐久間氏にいたっては、IWCの会場からTwitterで日本代表団の印象を貶めるようなツイートをしてみたりと、完全にポジションが決まっている方だったりします。
僕は、この執筆陣のことを、「反捕鯨サークル」と命名したい。
こういった執筆陣が集まって本を書けば、当然内容が偏るわけで、内容はしっかりと反捕鯨派のスタンスで書かれている。
中には取ってつけたように「私は反対じゃないんだけど」といったニュアンスの言葉(例えば佐久間氏は5章で「どちらかと言うと「食って何が悪い派」である」と書いていたり、冒頭の「はじめに」で石井氏は「もっとも私は干した鯨肉にマヨネーズをつけて食べるのが好きだが」と書いている)が書かれているが、このような偏りのある集団が、客観的かつ中立な視点から物を考えることは、恐らく出来ないでしょう。
読み終わった後に思わず「これなら水産庁の検討会のほうがバランスとれてるよなぁ」と思ってしまいました。

振り返ったふりをされる捕鯨史

そして内容を読み進んでいくと、いろいろとおかしな所が出てきます。
例えば中曽根元総理大臣の発言でJARPAの計画が変更されて、捕獲頭数が削減された話が書かれていなかった(おかげでサンプル数を保つために調査を延長せざるを得なくなった)り、非致死的調査の方が効率的だという主張をするのは結構だが、その非致死的調査は日本の調査捕鯨の中でも行われており、またIWC-SOWERやIWC-POWERのような非致死調査にも日本は協力していたりするのですが、そういったことには一切触れられていません。
更には、その非致死的調査を南極海で行われたAWE(2010年の2月から3月に行われた豪州・NZ・フランス合同の非致死的調査)で、有意義な成果が得られなかったことにも言及されていませんでした。

日本の捕鯨史や捕鯨文化に関しての言及は、個人的に最も酷かったと思います。
捕鯨に賛成反対の二択の調査の中に強引に「反・反捕鯨」というジャンルを作り出し、この人達はマスコミや政府のプロバガンダに偽りのストーリーを吹きこまれてしまっているというような指摘をしていますが、そもそも、この部分で書かれていることがかなり歪められているのです。
この本の中で扱われている地域の捕鯨史に関する資料は「釧路捕鯨史」のみで、太地・和田・鮎川という捕鯨地の捕鯨史はそれぞれの町史を参考に書かれているようで、例えば太地町の捕鯨について書かれている部分は、大背美流れで太地町の捕鯨文化は途絶え、それからは伝統とは関係のない捕鯨が行われているというようなことが書かれていますが、実際はそれ以降も網掛け式の捕鯨は民間企業などで行われていたり、そこから船が機械化され追い込み漁に変化したり、太地町の捕鯨には連続性があるわけです(ちなみにセミクジラなどの捕獲は技術的に可能だったが法律で禁じられていた)。
そもそも、鯨種や技術で伝統か否かを決められるのであれば、突捕式から網掛式に変わった時点で「伝統ではない」ことになってしまいます。
当時の技術は今から考えると稚拙なもので、外国の船乗りに笑われたという記録がありますが、それでも突捕式で捕獲できなかった鯨種を捕獲できるようになったことは、大きな技術革新だったわけです。

また鮎川についても、江戸時代に仙台藩が捕鯨業をしていたということを無視して語られているようです。
当時はあまりうまく行かなかったようですが、金華山沖に鯨が来ることを当時の人たちは知っていて、飢饉の際にも捕鯨を計画していました。
こういったきっかけや動機があり、だからこそ現在も捕鯨に携わっているわけです。

そして、現在は捕鯨が行われていない西の地域の話(例えば室戸、下関、五島列島周辺など)の話を何故か避けて通っています。
それらすべてに鯨食の形跡はあり、史跡もあり、実際に捕られていた記録もあるわけですから、これらをあえて外して日本の捕鯨文化を語ろうとするのは、何らかの意図を感じます。

「捕鯨問題はマッチポンプである」と納得できてしまう

太地町で「鯨に挑む町」という本を購入したばかりに、太地町の捕鯨の話にウェイトを起きすぎた感もありますが、このような感じで何故か語られていない事や歪められていると感じる部分が多く、僕なんかよりも詳しい人なら、きっと読後に帯の「「賛成」「反対」はもうやめよう!」という言葉が、とてもうそ臭く聞こえるでしょう。
「はじめに」で石井氏は、「真実が靴を履く間に、嘘は地球を半周する」という言葉を引用していますが、はたして地球を半周したのはどちらなのかと、思わず考えこんでしまいました。
そそういえば、「日本の鯨類学者は査読付きの論文をろくに出していない」や「日本人の一年間の鯨肉消費量は、一人あたり数十グラム」というのもよく言われますが、話によると致死的調査によって得られた結果を論文にしても査読拒否されるという話や、そもそも鯨肉の供給量がどれくらいで、どこかの環境保護団体のキャンペーンで売り場がうまく獲得できない現状について、何ら触れようとはしません。
「捕鯨問題って、実はマッチポンプなんだね」と、理解できるという意味では、いい本だと思います。

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