再びザ・コーヴを持ち出した裏側を考える

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先程の話なのですが、Facebookにおいて、再びザ・コーヴの無料視聴ページが開設されていたことを知りました。そのことについて、推測してみようと思います。
 

なぜ、いまさらなのか

ザ・コーヴが日本で封切られたのは、遡ること6年前の2010年の夏のことでした。
その当時は、かなり話題になり、様々な場所で物議を醸し、その影響は今に至ります。
しかし、それは6年も前の話。
昨年太地町で上映され、今年は様々な場所で上映されたビハインド・ザ・コーヴや、これまでザ・コーヴについて検証を行ってきた様々な人達によって、ザ・コーヴのも持っていた神通力も失われつつあります。
毎年9月から2月末あたりまで常駐している反捕鯨団体の活動家達の動きも、警察や海上保安庁、入国管理局などの様々な方々の尽力によって抑え込まれて来ています。
このタイミングで、どうして再びザ・コーヴの無料視聴を再開したのでしょうか?
 
あくまで僕の推測なのですが、「活動のシンボルとなる人物の存在のイメージ」を絶やさないことが目的ではないかと思います。
昨年は、リック・オバリーこと、リチャード・バリ・オフェルドマンにとっては、運が良くない年だったのでしょう。
あの一連の出来事以降、彼は日本の土を踏むことはなかったようですし、ドルフィン・プロジェクト側の活動家にとっては、あまり面白くない状況なのではないかと思います。
そんな中で、興行としてはあまり成功したとは言えないにしても、反捕鯨・反追い込み漁のアイコンとして成功した「ザ・コーヴ」という映画は、活動の影響力を維持するには、彼らにとっては有用なアイテムに感じられたのではないかと思います。
  
  

影響はどの程度あるか?

僕が初めてザ・コーヴを観たのはネットで公開されていたもので(吹き替えではなく日本語字幕だったので、今回のものとは別)、2011年のGWのことでした。
何度も何度も見返して、ト書きや字幕の内容をテキストで書き起こし、一生懸命その全貌を把握しようとしたのを思い出します。
 
その頃は多くの人が一生懸命観たというわけでもなく、僕の肌感覚としては、興味のある人は予め内容を把握(事前に視聴したり)しているし、話題に興味があったとしても、そんなに熱心に視聴する人は少なかった感じでした。
追い込み漁に賛成・反対を問わず、実際にザ・コーヴを見ずに語っていた人が多かったような気がしますし、恐らくは今でも同じでしょう。
 
そのような経緯から考えると、今、再びザ・コーヴの無料視聴が可能になったとしても、それが以前と違って吹き替え版の理解しやすいものになっていたとしても、一時間半のという視聴時間を考えると、残念ながらそれほど話題にならずに終わりそうな気がします。
ビハインド・ザ・コーヴが公開された今だからこそ、別の意味で視聴者が増えるべき作品だとぼくは思うのですが、残念ながらそうはならないだろうと思うのです。

この動画、時々紹介するのですが、この動画の最後の方にこんな文章が出てきます。

Easy Pray Japan …
But Paul didn’t truly know that

Most Horrifying thing of Japan is as it were “temp consumable populism”.

It means … sooner or later, wonder the trend of “Sea Shepherd” will be buried in the past.

They easily forget Paul Watson, FOREVER.

「熱しやすく冷めやすい」という言葉がありますが、日本人の多くは、そうした傾向を持ち合わせているのかもしれません。
特に時事に関しては、本当に心に残りでもしない限り、そのテーマについて何年も追いかけて調査するような人は多くないでしょう。
そして、僕もあなたも同じように、何かの拍子に再び現れたその名前を思い出して、さも何でも知っているかのように語ってしまうわけです。

この話題に限って考えるにしても、それは同じことがいえるのではないかと思うわけです。
ですから、残念ながら、視聴者数はそれほど増えることはないでしょう。
もし増えるのだとすれば、それはビハインド・ザ・コーヴのおかげであることは明白でしょう。
何故なら既に、活動家周辺には、その他の人たちを牽引するような活気をもたらすようなニュースはなく、逆にビハインド・ザ・コーヴは米国での上映という驚くべき状況を作り始めているわけですから……。

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