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鯨の町の選挙に思うこと

2016年7月17日、和歌山県の2つの場所で、選挙が行われ、どちらも歴史的な選挙となりました。その片方である太地町の町長選挙の風景を垣間見て、少し考えました。 続きを読む

情報発信の重要性

11/25に和歌山県民文化会館の少ホールにて行われた「特別講演会「太地町における古式捕鯨と世界情勢」」という講演で、情報発信の重要性について語られていたので、その話を……。
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僕は反・反捕鯨と呼ばれたくはない

新年、あけましておめでとうございます。
更新頻度を上げるためにブログ的な作りにしたにもかかわらず、更新頻度がさっぱり上がらない当サイトですが、捕鯨問題を専門に扱っている「捕鯨ライブラリー」からリンクをされていたことを昨日知り、今年は今まで通りではいけないなと思い、月に一度は更新をしたいということを、今年の目標にしていこうと思います。

さて、この記事が今年最初の更新になるわけなのですが、この記事は捕鯨問題について語るというよりは、ごく個人的なお願いでしかありません。
というのも、個人的にそう呼ばれるには、僕は当てはまらないという自負があるし、そう呼ばれている人たちからしても、「こいつは自分たちとは違うな」と感じるだろうなと思うからです(この部分は僕の勝手な想像ですが)。

僕は捕鯨推進派であり、反・反捕鯨派ではない

もうTwitterなどでは何度も主張していることなのですが、僕は商業捕鯨の再開を望んでいます。
反捕鯨派の主張が気に入らないから、その主張に反対しているわけではありません。
商業捕鯨の再開を心底望んでいるから、反捕鯨派の主張の中にある矛盾や違和感などについて、自分なりに調べてまとめているに過ぎません。
また、調査捕鯨に関しても、それを続けることは日本の南氷洋における責任のとり方として正しいと考えていますから、それも是非継続していただきたいと、心底思っています。

だから、反・反捕鯨などというレッテルを貼られるのは正直に言うと気持ち悪いんです。

また、「捕鯨に賛成している奴は基本的に反・反捕鯨派だっ!」という、反捕鯨派の語る文脈が正しいというのも正直納得出来ないんです。
何故なら、僕や鯨食を好む人達の中には商業捕鯨の再開を待ち望む人は、相当数いるはずなのです。
北欧からの輸入ではなく、日本が南氷洋で鯨を捕って帰ってくることを望んでいる人たちが必ずいるんです。
無論、中には国粋主義的に反捕鯨派に対して反抗している人たちもいるでしょう。
中には「アニマルライツの主張がムカつくから捕鯨賛成!」という人達もいるでしょう。
しかし、僕を含めたそういった「捕鯨の再開を純粋に望む人たち」の想いを、都合よく編集して、さも自分たちが主流であるというような物言いを、僕やそれらの人たちに対して適用するのは、是非ともやめていただきたいです。

アイキャッチに使っているのは、今年の正月に食べた、鯨ベーコンとイワシクジラの頬肉とミンククジラの赤身の刺身です。
僕は鯨をもっと食べたいんです。
だから、捕鯨に賛成しています。
反捕鯨に反対なのではなく、捕鯨に賛成しているから、根本から立ち位置が違うのです。
是非とも、ご理解を頂きたいものです。

2014年8月15日

このテキストは、太地町で書いています。
しかも、夜明け前に。

日の出を見ようと早起きをして、軽く朝食でもとコンビニに向かっている途中で雨が降り出してきたので、そのまま宿に戻って、サンドイッチを噛じりながら書いています。

今回で10回目の太地町行きとなるわけですが、その記念すべき時に、太地町の夏の風景が見られたことは、とても大切なことだと感じました。
というのも、この町はくだらない映画で名前が知られてしまったばっかりに、その美しい風景を知らない人たちの間でだけ有名になってしまい、本来一番豊かな自然を満喫できるであろう夏の風景を、太地町を応援していると口では言っている自分も知らなかったからで、今回、夏の景色を目にすることで、一年を通して太地町の自然を見ることができたのではないかと考えると、この夏の持っている意味がとても重要なのだと気付かされたからです。

僕が太地町を通じて知り合った人は、ほぼ口を揃えて「夏の景色を見に来てほしい」といいます。
それは、地元の人でさえ一番いい時期だと感じているからなのでしょう。

しかし、残念なことに、あと15日もすれば、憂鬱な約半年間が始まります。
コーヴガーディアンズを始めとするアニマルライツ活動家たちが、続々と日本にやってきます。
そして、自分たちの妄想に基づいて、くだらない妄言を垂れ流すのです。
連中によれば、この町は、イルカを生体販売することで巨万の富を得ている上に、伝統でも文化でもない漁業でイルカを無駄に殺しているのだそうですが、約三年ほどこの件に関わってきて感じたのは、彼らの言うことには何ら根拠はなく、太地町の追い込み漁は、南紀の自然がもたらした恵みを頂いてきた漁民たちによって見出されたもので、様々な変遷によって形を変えつつも、その形跡を残して今なお存在するものです。

また、僕が何度も繰り返し言っていることですが、イルカの生体販売で巨万の富を得ている人など、この町には存在しません。
ほぼ町の全域を歩きましたが、極端に裕福な人というのは見当たらず、むしろ外に出ていってしまった人の住んでいた家が、空き家となって点在していることのほうが目につきました。
中でも、愛宕山神社に向かう途中で通った道は、本当に人気を感じることができず、ここにも過疎化の問題が存在していることに気が付かされました。
もし仮にイルカで得たお金で町が活気づいているのであれば、おそらくはここにも人がいたことでしょう。
しかし、実際は寂れていく一方の寒村(こう書くと地元の人に怒られてしまうのですが、僕の率直な感想としては、この言葉以上にふさわしい言葉が出てきませんでした)でしかないのです。
確かに過去には南洋と北洋に多くの捕鯨者を送り出し、また海外に多くの移住者を送り出し、彼らがもたらした富によって、富み栄えた時期はあったのかもしれません。
しかし、それは過ぎ去った過去の話であり、今とは全く事情が異なる時期の話なのです。

他にも、「太地町は同和との密接な関係がある」だの「右翼団体と関係がある」だの、ありもしないことを主張する保守系団体の方もいますが、こうした人たちもまた、実際の太地町の有り様ではなく、別の太地町のイメージを見ているようです。
自分たちの活動のためだけに、太地町を利用しないでいただきたいと、僕は思います。

最後になりましたが、こうしたくだらない一連の出来事から、太地町やその周辺の地域が開放され、別の意味で(と言うか本来の産業において)有名になって、もっと地域が活性化してほしいと思わずにはいられません。
今後も、僕はこの町を応援していきたいと思います。

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